20**年。
大国カストルに敗北し、占領下に置かれた小国シュリラに、新たな法が施行された。
正式名称は「性行為管理及び義務履行法」
国民の間では、女の義務と呼ばれていた。
この法は、私的な性行為を一切禁じる。
夫婦であろうと恋人であろうと、行政の許可なく性交渉を持てば重罪。
だが、それだけではない。
法の核心は、性行為の相手を国家が指定することにあった。
国民は、いつ、誰と、どのような形で交わるか、それを拒否する権利を完全に奪われた。
敗戦の条件として押しつけられたこの制度に人々は激しく抵抗した。
自殺が相次ぎ、武装蜂起を試みた者もいた。
占領軍は容赦なくそれを潰した。
戦争は終わったが、暴力は形を変えて残った。
それから1年。
街は静けさを取り戻したように見える。
だが、それは表層にすぎない。
「女の義務」は、すでに社会の基盤に深く埋め込まれ確実に回り始めていた。
★
首都から百数十キロ離れた地方都市。
朝六時半。
まだ冷え残る空気の中、ジェーンはゴミ袋を手に玄関を出る。
三十四歳。ひとりで二人の子どもを育てていた。
「おはよう、ジェーン。早いわね」
隣家のフロラが声をかけた。三十八歳。
同じく夫は健在だが、会話はいつもどこか遠慮がちだ。
「天気がいいから、ね」
短く返し、ジェーンは軽く会釈する。
二人は昔からの付き合いだった。
戦前なら、ここで十分以上は立ち話が続いただろう。
だが今は違う。
「そうそう。聞いてよ。今度うちの旦那のカートが……」
フロラが会話を続けようとするが、ジェーンは「しっ」と言ってそれを遮る。
フロラの視線が、わずかにジェーンの背後へ流れる。
路地に停まった黒のセダン。
ナンバーは隠されている。
監視車両だ。誰が乗っているか、いつからそこにいるのか、誰も知らない。
「……鍋の火を消しそびれてたわ」
フロラが急に声を上げ、足早に家に戻っていく。
会話はそこで途切れた。
残されたジェーンは、背中に突き刺さる視線を感じながら門をくぐる。
エンジン音が鳴り、車は走り去った。
家に入ると、リビングで息子の高3のライアンが朝食を残していた。
以前は肩幅の広いスポーツマンだった少年。今でも体格は健在だがは異様に鋭くなった。
「学校で何かあった?」
ジェーンが優しく声を掛けるが期限は悪そうな顔を見せる
「別に」
「顔色が悪いわよ。何か困ることでもあったの」
「男は関係ねえよ。困っている女子を見るのが辛いだけだ」
ライアンは立ち上がり、皿も片付けずに玄関へ向かった。
扉が乱暴に閉まる音が響く。
十七歳。
女子生徒にとって、それは対象年齢に達したことを意味する。
いつ国が選んだ指定相手が現れるか分からない。
命令が来れば逆らえない。拒否したら家族ごと消える。
ジェーンが呆然と立ち尽くしていると、今度は娘の高1アガサが顔を出した。
セーラー服の胸元が妙に薄く、輪郭が浮いている。
顔は赤らみ、目は伏せられたままだ。
「おはよう……」
声が掠れている。
ジェーンは瞬時に理解した。
ブラを着けていない。
おそらく学校で「着用禁止」を命じられたのだろう。
つまりもう教育は始まっているのだ。
十五歳になった途端、子ども扱いは終わるのだから。
「今日は休みなさい」
ジェーンは携帯を取り出した。
欠席連絡を入れようとしたその瞬間。
「やめて!!」
アガサが初めて、はっきりとした拒絶の声を上げた。
「母さんや兄貴に迷惑かけたくない」
震える手が制服の裾を握りしめる。
薄い生地越しに、乳首の形がくっきりと浮かんでいる。
それは、まだ誰にも触れられたことのない少女の体がすでに見られることを前提に管理され始めている証だった。
「……行ってきます」
アガサは俯いたまま靴を履き、玄関を出た。
背中が小さく震えている。
ジェーンは携帯を握りしめたまま、動けなかった。
外では、朝の挨拶が交わされ、子どもたちが笑いながら通学路を歩いている。
誰もが、まるで普通の朝であるかのように振る舞っている。
だが、その普通の裏側で確実に一人の少女が『女』として登録され管理され消費されようとしていた。
ジェーンは窓の外を見た。
青空が広がっている。
占領から1年。この国の戦争はまだ終わっていなかった。