敗戦国の義務 プロローグ 02


 昼
 ジェーンはバッグの中身を一度確認し、緊張した表情で家を出た。
 バッグの中には役所から送られてきた赤紙が入っていた。

(気をしっかり持たないと)
 彼女にとって女の義務はこれで3回目だ。
 法律が施行されて3回というのは、平均より多いのか少ないのかわからない。
 ただ、わかっているのは拒否が許されないということ。
 拒否すると自分だけではなく、愛すべき家族も同罪になるからだ。
 もうどれだけの一家が突然逮捕され、いなくなったか知れない。
 自分が家族を守る。ジェーンはその一心で指定されたホテルに向かった。

 バスを降り、中心街へ入る。
 町は活気に満ち溢れ、景気のいい雰囲気が漂っていた。
 とても戦争に負けて、侵略された敗戦国には見えない。
 車は多く走り、町の人々は誰もが忙しそうにしている。
 もしかしたら、この国はこれでいいのではないのか、という思いが彼女の頭をよぎった。
 男性は職に困らないし、女性も義務を果たすだけで金も生活も保証される。
 普通なら奴隷化、下手をすれば民族根絶やしもありえる敗戦国だというのに、命はあるし平和に暮らしてもいける。
 それだけでありがたい。
 そう思う国民が少なくないのもわからなくはなかった。

(でも、これでいいわけないじゃない!)
 ジェーンはその考えに流されそうになる自分を否定するかのように首を振った。
 いくら経済発展が得られても敗戦国の住民に人権は存在しないのだ。
 どれだけ裕福そうに見えてもそれは幻ではない。
 人がどう思おうと、彼女はその考えを変える気はなかった。

「そこの女、止まりなさい」
 そのことを裏付けるように、パトカーに乗った警官がジェーンに向かって大声を出す。
「なんでしょうか」
 ジェーンはパトカーから降りた警官に向かって言った。
「どこへ行く気だ」
 警官は高飛車だった。見るからに偉そうだ。
 それもそのはず。この警官は自国の人間ではない。
 憎き占領国のカストルの警官だった。
「どこって……今から指定された場所に行くところですが」
 ジェーンは屈辱を覚えながら赤紙を渡した。
 赤紙を見せるということは、これから抱かれに行く女であることを教えるようなもの。
 自分が本当に売春婦になったような気分になった。
「ふーん。怪しいな。検査をしてやる。こっちに来い」
 手を引っ張り、狭い路地に連れて行く警官。
「なぜ検査をするの」
 ジェーンの顔から血の気が引いた。
 もう何度も経験した屈辱的な身体検査が頭をよぎる。
「この国の女のくせに恥ずかしがってどうする。ウブな処女でもあるまいに」
 警官が笑う。もちろんジェーンは未亡人なんだから処女のわけはない。
 普通ならそれだけの話だが、今の国の状況を考えればこの言葉は別の意味を持つ。
「いえ……」
 もう何人の罪のない穢れ無き女性が義務により経験させられ、破瓜の血を流したか。
 占領国にとっては、女性が最も大切にする初体験を踏みにじることすら笑い話でしかないのだ。
「じゃ、早く脱げよ。それとも脱げない理由でもあるのか」
 このまま拒否すれば、逮捕は避けられない。
 もしそうなれば裸同然の拘束具を着せられ、晒し者になりながら連行されてしまう。
 女性が連行されるシーンは彼女も何度か見たことがある。
 それは女として、人として、あまりにみっともない姿だった。
 ジェーンの顔に冷や汗が流れる。
 どう考えても脱ぐ以外に、最悪の未来を回避する手立ては見つからなかった。
「せ、せめてもう少し奥で」
 ここは路地裏とは言え表通りから近く、人が歩いているのが見える距離だった。
 事実、何人かはこちらをちらりと見ていく者も多い。
「なにを今更。駄目に決まっているだろう」
 やはり警官はそれを許さない。
 そもそも、今は女が路上で裸にされることは珍しくなかった。
 警察は治安維持を理由に女体をいつでも調べられる権利を持っており、その日の性行為に選ばれたパートナーの男も同様の権利を持つ。
 タチの悪い男に当たった女性が、全裸で外を歩かされているところをジェーンも目撃していた。
「……わかりました」
 路地裏まで連れてきただけでも、この警官はマシかも知れない。
 そう思い込もうとしたジェーンは壁の方を向き、震える手で上着を脱ぎ、スカートを下ろす。
 見慣れた黒いブラとパンツの下着姿になり、彼女は思わず周りを見渡した。
(あっ)
 本通りを歩いている男と視線がぶつかる。
 反射的に手をブラとパンツの上に置く。
 すると男は気まずそうに去っていった。
「ほら、早く脱がないと見られる率が上がるだけだぞ」
 警官はニヤニヤしながら、恥ずかしさに震える女を眺めていた。
「わかっているわ……」
 警官のいやらしい視線を肌に感じながら、ジェーンはブラとパンツを脱ぐ。
 そしてゆっくりと警官の前に立ち、直立不動のポーズを取った。
 もう何度もやっているとは言え、外で全裸のまま立たされる心の痛みに慣れることはない。
 自然と頬は赤くなり、目には涙が溜まった。
「ほう。年増かと思いきや、なかなかの体をしているな」
 警官は小娘とは違う熟れた大きな乳房と綺麗に手入れされた下の毛をまじまじと見る。
 実際にジェーンの体は見事なプロポーションだった。
 出るところは出ており、腰も細い。とても子供を2人も産んだ女には見えない。

​「早くしてください……」
 路上で晒し者になっているジェーンが苦しそうな声を出す。
 すると警官は「しゃあないな」と言いつつ、レンズが2つ付いた奇妙なカメラを手に取り、シャッターを切った。
 ​この機械は男の精液反応を写すことが出来るカメラだった。
 その精度は、たとえ一週間前に付いた精液でも識別が可能だという。
 占領国はこの全裸検査を無作為に実行することで、国民が勝手に性行為を行っていないかどうかを調べていた。
​「ふむ。反応はないな。つまらん。データを見ても今まで違反もないし模範的な市民のようだな」

 警官は手元の身分データを確認しニヤニヤとする。
「だが、お前、去年のデータと比べると、少し乳が垂れてきたんじゃないか?」
 ジェーンは息を飲んだ。
 この警官が一年前に登録された自身の全裸データを見ていたことは間違いない。
 彼らは女性の体を性的な対象としてだけでなく、単なる資源として管理しているのだ。

「まあ、それも経験のおかげか。年増なんだししょうがないしな」
 警官はつまらなそうに続けた。
「もう行っていいぞ。しっしっ」
 拘束の必要がなくなりがっかりしたのか、警官はつまらなそうに手を振り、パトカーへと戻っていった。
​(なんでこんな目に……)
 地面にだらしなく落ちたパンツを拾いながら、ジェーンは唇を噛みしめる。
 彼女は知っていた。
 この市に住む女性の裸体はこうやって検査され随時データが更新されている。
 もちろん、愛すべき娘の裸も。


 10分後。ジェーンは指定されたホテルに入った。
 この建物はもともとかなり高級なホテルだったが、今や市民が義務を果たすための施設に成り果てていた。
 エレベーターに乗ると、綺麗なロングヘアの女の子と一緒になった。
 上がっていく動作音を聞きながら、ジェーンはちらりと女の子を見た。
 若いと思った。まるで高校卒業したてのような可憐な感じがする子だった。
 だが様子が尋常ではない。体は震え、今にも倒れそうな雰囲気だった。
「大丈夫?」
 娘の姿と重なって見えたジェーンは思わず声を掛けた。
 しかし女の子は何も言わない。
 ただ、俯いたままだった。
 エレベーターが目的の階に着き、扉が開く。
 女の子が心配だが、なにか出来るわけでもない。
 ジェーンは無言のままエレベーターを降りる。
 扉が閉まる寸前になって、女の子がボソリとつぶやいた。
「私、初めてなのに……こんなのって……」
 扉が閉まる。もう女の子の姿はない。
 エレベーターの現在地を示すパネルは次々と上階を表示し、そして止まった。
 今頃あの子はエレベーターを降り、男がいる部屋へと向かっているのは明らかだった。
 ジェーンは目をつぶり、涙をこらえる。
 情けなかった。
 あんな女の子が、見たこともない男に体を奪われ、処女を散らされるというのに、助けてやれなかった。
 しかも、この子の不幸はそれだけでは終わらない。その後も義務は続くのだ。
 二人目三人目の男に抱かれるのもそう遠い出来事ではない。
 恋愛も知らないまま、複数の男性と経験を積まされ、体だけ大人にさせられる。
 女はそれをただ受け入れるしかない。それが現実なのだと。