11話 4番と呼ばれている女性

 
取材当日

「遅いわね」
 高橋綾瀬は拘置所の大きな門の前で一人立ち尽くしていた。
 既に約束の時間である正午は過ぎているのにカメラマンの鈴木は現れないからだ。

(このままでは目的の女子大学生に接触するチャンスを逃してしまうじゃない)
 いくら焦ってもカメラマンは来ない。それから待つこと20分。彼女のイライラがピークに差し掛かった頃、一台のタクシーが拘置所の正面玄関前に止まる。
 タクシーの後部座席のドアが開き、40歳前後の男が降りてくる。
 男は機材が入った大きなバックを手に持ちながら綾瀬の元へと駆け寄った。

「高橋ちゃん。今日はよろしくね」
 鈴木はそう言いながら綾瀬の手を握る。
 彼はこの編集部の古株で、もう中年に差し掛かる男のはずだが、その外見は妙に若々しいく、そして異様に馴れ馴れしかった。
 そこには遅れて済まないと言った謝罪の気持ちはまるで感じられない。

「鈴木さん。今回は私のような新人を指名していただきありがとうございました」
 綾瀬にムカつく気持ちがないわけではないが、ここで揉めても何一ついいことはない。
 相手の機嫌を損なわないように頭を大きく下げた。
 何と言っても、この取材は鈴木が全ての段取りを決めている。
 遅刻程度で文句が言える相手ではなかった。

「堅苦しい話は抜きでいいよ。そんなことより随分ゴテゴテした服を着ているね。うーん。どうしようか」
 鈴木は困ったような顔をしながら高橋の全身をジロジロと見た

「え?何か問題でも」
 綾瀬は自分の服を見直す。
 やはり何処もおかしくない。そもそも今日の服装は至って普通の服でしか無かった。
 いつも取材の時に使うボタンが一つしか無い地味なテーラードジャケットに、動きやすさだけが取り柄のシンプルなマーメイドスカート。
 あえて普段との違いと言えば、自分が映る可能性も考えて事前に美容室へ行き、ロングヘアの髪を整えたぐらいだった。

「まあいいや。初日との違いがはっきりわかっていいかもしれん。では何枚か撮るから玄関前に立って」
「は、はい」

 いきなり写すと言われた綾瀬は焦りながら言われた場所に立つ。

「撮りーます」
 パシャパシャパシャ
 鈴木はバックにある重々しい拘置所の建物と一緒に綾瀬の全身を写していった

「?」
 綾瀬は何か違和感を覚えた。
 カメラの視線がなんとなく自分のスカートや胸元に向かられているような気がした。
 無論、根拠はないが何処かカメラの視線が恥ずかしさを覚える。

「おい、そこの2人」
 拘置所の敷地内から一人の制服姿の刑務官が駆け足で向かってくる。
 玄関でこんなことしていれば不審者と思われても当たり前。
 どう見ても今の状況は怪しいふたり組でしかなかった。

「え、えっと私……」
 綾瀬が焦りながら取材許可書を出そうとカバンを開けようとした。
 気持ちばかり先行して上手く手が動かせない。

「あー取材の方ですね。話は聞いています。初めまして、篠原刑務官といいます」
 若い男性刑務官がパニクっている綾瀬に向かって挨拶をする。
 まだ刑務官になって間もないような優男だった

「こちらこそ初めまして。た、高橋と申します。この度は取材を許可していただきありがとうございます」
 急いで返事を返す綾瀬。
 新人の彼女にとってこのあたりの挨拶はまだまだ不慣れだった。
 年もさほど離れていなさそうな相手でも辿々しい。

「よっ、今日は世話になるぜ」
 そんな綾瀬とは裏腹にカメラマンの鈴木は篠原刑務官に向かって超フレンドに話をする。
 初対面はなさそうな感じだった

「ははっ、鈴木さん。わかっていますよ」
 同じく篠原刑務官も軽い口調で返事を返す。
 やはり2人は顔見知りのようだった。もしかしたら取材がOKになったのも繋がりがあったからかもしれない。

「では、お二人方どうぞ」
 篠原は2人を拘置所の敷地内へと向かい入れた。
 敷地内に入ると空気が変わる。なにやら重苦しい感じがした。

「こちらです」
 いくつかのゲートをくぐり、拘置所の建物に入った綾瀬たちは受付の側にある部屋へと案内される。

(保安検査?)
 その部屋の扉には保安検査室と書かれていた。
 刑務官に連れられて中に入ると、そこは窓一つ無いこじんまりとした部屋だった
 あるものと言えばありきたりの机に身長を図る柱。体重計。
 そして床にはよくわからない複数の丸いマークが書かれている
 どこか学校の保健室を思い出す空間が広がっていた。

「ここは?」
 綾瀬が質問をした。
「違法物も持ち込ませないための検査室です。ここから先に行く人は例外なく身体検査を受ける決まりになっています。もちろんあなたもこれ以上先を取材したいと言うなら検査を受けてもらいますよ」 
 やや軽い言い方で篠原が話す。
 明らかに若い女性記者をからかってやる要素が感じられたが綾瀬も負けてはいない。
「残念ですが今日はそこまでの取材許可は出ていないんですよね。また次の機会にお願いします」
 微妙な空気が2人の間に漂うと鈴木の声がした。
「篠原刑務官、このガラス棒を撮影していいっすか」
「どうぞ」
 篠原刑務官の許可をもらった鈴木が部屋にある備品を写真に収める。
 机の上に置かれている太さが違う3本の透明なガラス棒に興味があるらしく熱心に撮り直していた。

 綾瀬は部屋の中をぐるっと周りを歩き、中央で立ち止まる。
 そして真ん中の床に付けられた赤い丸の印をジッと眺めた
 丸の数は4つ。手前に2つとやや奥にも2つ。
 どちらも1メートルぐらいの間隔が取られている。
 印の配置を見た綾瀬は本能的に寒気を感じた。
 これは良くないものだ。出来れば永遠に知りたくない物だと。

 ガタンという音とともに突然扉が開く。

「4番を連れて入ります!」
 30歳前後の女刑務官が大声を出しながら部屋の中に入ってくる。
 両手には黒い手錠、腰には青色の縄を巻かれた一人の若い女性が引っ張られるように連れてこられた。

「え?」
 俯くながら歩く若い女性の姿を見た綾瀬は何とも言えないショックを受け、思わず総身を硬直させた。
 自分と大差ない20歳前後の女性が手の自由を手錠で奪われ、まるで犬のように縄を持たれて歩かされている。
 それは人としての尊厳すら無視しているような女性の姿だった

「4番が帰ってきたのか。ちょうどいいな。鈴木さん。さっきの話だけどこいつはどうです? 体が綺麗だから写真写りもいいと思いますよ」
 篠原刑務官が声を弾ませながら鈴木に向かって言った。
「ちょっと顔が地味すぎね。胸もそんな大きくなさそうですし」
「いやぁ女の胸は大きさではないんですよ。形とバランスが1番。毎日こいつの全てを見ている俺が保証するんだから安心してくださいよ」

「あの、何の話ですか」
 女性として不愉快極まりない会話に眉をひそめつつも綾瀬は2人の会話に割り込む。
「ここで暮らしている女を一人ピックアップして特集を組もうと思ってさ。どうせなら裸が綺麗な女を選んだほうが売り上げがいいだろ」
 鈴木がしゃーしゃーと言い放つ。
「裸って囚人の裸を写すのですか。そんなもんはいらないでしょう」
 そんな話は聞いていないと綾瀬が問い詰める。
「うちの雜誌の読者がエロもない真面目な記事に関心を持つと思うか。監獄に暮らす女の特集と言えば身体検査に風呂だろ。これは餌よ。餌」

「そもそもいくら囚人だからってそんなことのために裸を写させてくれるはずないでしょうに」
「お前な。ここを何処かと思っているんだ。新しく作られた薬物専用の特別拘置所。人権は停止されている。拘置所の許可さえあればいいんだよ。あとここにいる人は囚人ではないよ。起訴をされただけだから被告人」
「被告人ってことはまだ犯罪者でもない人じゃないですか。余計にタチ悪いです。私は絶対に反対ですから」

「あなた達はマスコミの方なのですか」
 綾瀬と鈴木の言い争いをじっと聞いていた四番と名付けられた女性が突然声を出した。
 どこか芝居がかっているが知的な感じがするハキハキした声だった。

「そうよ。週間真実。あんたみたいな本を読まない今時の小娘にはわからないだろうけど社会派の雜誌さ」
 バカにしたような上から目線で鈴木が喋る。
「いえ、わかります。週間真実と言えばゴシップと胸が大きなヌード表紙が売りの雜誌でしょう」
 4番は挑発じみた鈴木のコメントを軽く流し、微笑みを浮かべながら言う。
「ちっ、可愛くない女だ」
 あっさりと嘘がバレてしまい、鈴木が面白くなさそうに舌打ちを打つ。

「私はここの警備体制の取材に来ただけなので安心して。あなたをさらし者なんかにさせないから」
 綾瀬は4番を宥めるように話す。 
 いくら低俗雜誌だからって、こんな未決の女性の裸を雜誌に載せるなんてやっていいはずもなかった。

「さらし者ですか……」
 カシャ、鈴木がさっきの復讐とばかりに4番の手錠腰縄姿の写真を撮る
 4番は不愉快そうに眉を潜めつつも考え事をしているような表情を見せた。
「鈴木さん。止めてください」
 裸どころかこんな姿の写真を他人に見られると思うだけでも4番の苦痛は相当なもののはず。
 綾瀬は写真を撮っている鈴木の行動を止めようとする。

「先ほどの取材の件ですが私は構いません。顔を写してくれてもいいですし検査中でも構いません。ただし一つだけ条件があります。事件の詳細も書いてください。なるべく細かく」
 まるで綾瀬の制止を遮るように4番が言った。

「あ、あなた、何考えているの! 自分の裸が雜誌に載るのよ。こんな扱いをされていることが世間に知られるのよ」
 驚いた綾瀬が4番の肩を掴み問い詰める。
 いくら拒否権はないとは言え、自分から志願する必要なんて欠片もなかったからだ

「……今は他に手がないんです。それに私は○○ですから何を言われても後ろめたいことなんてありません。ここでやられていることの全ては必要のない行為でしか無いのですから」
 4番は真っ直ぐな瞳を綾瀬に向けながら、誰にも聞こえないような小さく声でつぶやく。
 
「まさかあなたがあの」
 声の大きさからは考えられない強い意志の力を感じた綾瀬はヨロヨロと後ろに後ずさる。
 4番は迷いのない声ではっきりと言った。『私は無実です』と