逮捕された姉

24話 全裸検査の理由


夕方。
 騒がしかった取材陣もいなくなり、静まり返った拘置所の廊下に女性の苦悶に満ちた声が響いた。
 杉浦刑務官とともに廊下を歩いていた篠原刑務官はまたかとばかりに声がした方を向く。
 声は当然のごとく身体検査室から聞こえていた。
 ここで働く人間からすればあまりに聞き慣れた声。 

「あれ?今日はもう入監予定者はいないはずじゃ」
 篠原が首を傾げながら言った。
 もし、入監となれば色々と準備しないといけないのに、そんな話は聞いていないからだ。
 手違いとも思えず、なにか妙な感じがした。

「あーあれね。あの女は直で警察病院行きなのでうちの仕事はここまでなのよ。だから連絡が言ってなくて当然」
 杉浦刑務官は手を広げながら、すっとぼけた表情を見せた。
「またどうして警察病院なんかに。そんなヤバイ状態なのですか……って。ああ」
 警察病院に送られることになるパターンは2つ。
 1つは薬中が進みすぎて手に負えない場合。もう一つはお偉い人の関係者で便宜を図るように言われた場合。
 杉浦の態度を見ても後者のように思えた。

 身体検査室の扉が開くと、40歳ぐらいのどことなく品格のよい婦人が手錠腰縄姿で連れ出される。
 私服は既に取り上げられており、ここの屋内用の支給品である白い薄地の体操服と太股がむき出しのショートパンツ姿だった。
 うつむき加減で表情はよくわからないが、初めての裸体検査と手錠の味で相当参っているようだ。

「もっと早く歩け」
 婦人を急かすように現れたのは腰縄を持った神埼刑務官。
 現場トップである神崎自らが扱うことを考えても、この婦人がVIP待遇であることを感じさせた。

 篠原たちは急いで廊下の隅に移動し、敬礼をする。
 拘置所は上下関係の規律が異常に厳しかった。
 だからこそ、収監されている人物に土下座を要求し服従させる。
 だが、話はそこで終わらない。ここで働く刑務官たちの間でも厳しかったのだ。
 篠原から見れば神崎刑務官は雲の上の存在。白いものでも神崎が黒と言えば黒ですと答えなくてはいけないぐらいの立場の違いがあった。

「お前たち、手は空いているか」
 どこか不機嫌そうな神崎刑務官の質問に「はい」「ハイ」という緊張した声が廊下に響く。
「ふむ。なら杉浦刑務官。今から警察病院に移送するので付いてきなさい」
「わかりました」
 先程よりも緊張感を漂わせる声を出す杉浦刑務官。
 あまり階級の違いを気にするタイプではないが、機嫌が悪い神崎刑務官が相手となると、やはりおっかなさが先に出るようだ

 手錠を掛けられた婦人が篠原の目の前を通る。
 近くで見るとやはりいい女だった。歩き方も綺麗だ。
 おそらく日常的にお偉いさんたちが集まるパーティーにでも参加しているのだろう。
 佇まい一つとっても気品がある。
 篠原は去っていく婦人のショートパンツに包まれたお尻をちらっと見てなんとも言えない笑みを浮かべた。
 こんな上流階級の婦人がほんの数分前には肛門をむき出しにされ、その中心をガラス棒が貫いたと思うと笑いがこらえきれなかった。


 口煩い先輩2人がいなくなったことを確認した篠原はそのまま身体検査室へ入った。
 室内には先程の婦人と同じぐらい真っ青な顔をした喜美刑務官が壁に寄りかかっている。
「お前が身体検査をやるとは珍しいな」
「しばらくはここの担当をやれって……」
「またどうして……ってははぁ、なるほどな。どうせまた囚人と馴れ合った挙句に肛門検査を見逃して怒られたんだろ。そんなことだからあの怖い先輩に目を付けられるんだよ」
 反論が帰ってこない。どうやら不慣れな身体検査の仕事が堪えているようだった。

「まぁそんなことはどうでもいい。ところでさっきの婦人は誰だったんだ」
 篠原は机の上に置かれていた作られたばかりの資料を見る。 
 やはり、さっきの女性は名が知れた地元の有力者の妻だった。
 事件の報道も少なく、色々手を回して穏便にすましたのだろう。

「しかし、こんな金持ちな婦人にまで薬が広がっているんだから世の末だな。いい体しているのに勿体無いわ。どこから手に入れたのやら」
 撮られたばかりの全裸写真を見ながら、篠原は飽きれた顔をする。
 43歳で子供を2人産んているわりには体の線が崩れていない。
 胸は大きくスタイルも抜群だが、腕に複数の注射痕があるのでは全てが台無しだった。
「あの人、○○大学に通う娘さんから貰ったと自供しているらしいわ。その娘さんは同じ学生から買ったと自供していると……」
「○○大学? って久美、いや、4番が通っていた大学だよな」
 喜美刑務官はコクリと頷く。よくない線が繋がりつつあった。

「やはりそういうことか。そりゃ薬物反応も無いわけだ。中学時代はあんな可愛い後輩だったのに今は売人とはたまげたな」
 篠原が飽きれたようにいうと、喜美が自分の事のように反論する。 
「4番はそんな子じゃない。きっと何かに巻き込まれて……」
「ストップ!冤罪の可能性を考えるのは俺達じゃない。俺達の仕事はここの治安維持だ。4番が薬の売買をしている疑いが強くなったことだけを考えろ」
 黙りこくる喜美。篠原が言ってることは正論でしかなかったからだ。

「ここに薬を持ち込ませるわけにはいかない。いや、既に隠し持っている可能性もある。お前が4番にガラス棒検査を実行しないってことはそういうことなんだぞ。わかっているのか」
「わかっています。わかっています……が」
 篠原とは年齢も階級も差はなく、喜美は反論も出来る立場だったが言葉に詰まる
 感情論を抜きにすれば4番の性器や肛門を調べない理由は何も思いつかなかった。



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 その頃、姉は護送車の中でため息を付いていた。
 取り調べと言ってもすでに起訴された身。裁判に向けてお互いに手の内を見せるわけがない。
 結局、今日も探り合いをやるだけで終わった。
 あまりに虚しい時間だった
「つぅ……」
 姉は無意識のうちに手首を動かす。するとカチャと手錠が擦れる金属音がした。
 今日は不快な手錠の感触がやけに重く感じた。
 監視員にバレないように手首を擦って痛みから逃れようとする。
 視界が僅かに動き、チラリと斜め右に座る女性の姿が目に入った。
 その女性も姉と同じ手首には手錠を掛けられ腰縄を打たれているみっともない姿だったが明らかに他の囚人と違った。
 背筋は曲がっていないし顔をしっかり前を見ている。手首に掛けられた黒い手錠もアクセサリーの一部にすら思える。

『あの女性には近寄らないほうがいい』
 刑務官たちは口を揃えて愛のことをそういった。姉もそれには同意見だった。
 一見すると愛には上級階級の匂いがある。庶民とは明らかに違う触れがたい距離感。 美人であることも相まって初対面の人物は誰もがそう思うだろう。
 実際に姉も愛に魅了された。廊下で全裸に剥かれているのにも関わらず、物静かな佇まい。大きな乳房や伸ばし放題な陰毛を曝け出しているにも関わらず気品があった。
 こんなクソみたいな拘置所でも人としての尊厳を保つ。その気高さに尊敬すらした。
 だが、少し話をしてみてわかった。愛の本質はそんな上級階級のものじゃない。
 刑務官の言うとおり、もっと悍ましい社会の人物だ。

 車が止まる。ゲートが開けられ拘置所内に入った。
 心なしか車内の空気が変わった。ここからは自由のない別世界であることをいやおうなしに感じ取れる。

 愛のことも気になるが、これから行われることを考えるとやはり姉の心は穏やかではない
 今日の担当は篠原だったからだ。
 出る時はなぜか免除されたが帰宅時はそうは行かない。
 あの男の前で裸になり、手錠を打たれるかと思うと鳥肌が立った
 もちろん、すでに何度も同じ目にはあっているが、慣れることはまったくなく屈辱感だけが増していった。
 昔は先輩と呼んでいた人物に身も心もさらけ出して平伏しないといけないんだから慣れるはずがない。当たり前の話だった。

 車が止まり1人ずつ外に連れて行かれる。
 愛も外へ出た。
「早く降りろ」
 偉そうな護送車の男性係員が姉に向かって言う。
 人を見下した態度にムカっときたがもちろん反論は許されない。
 黙って車から降りると4人は連結された長い腰縄を外される。
 と、言っても腰には縄が掛けられたままだし手錠だって外されることはなかった。
 そんな滑稽な格好のまま1列に並べられる。
 その中にはもちろん愛もいた。
(これはチャンスかも)
 姉は作戦を練った。いつも通りならこの後に身体検査室に連れて行かれて4人纏めての検査となる。
 内容は裸になりカンカン踊りをさせられて肛門を見せる検査だが、愛に近づくチャンスは多いように思えた。
 流石にペラペラと話すことは出来ないが、1言約束を取り付けることぐらいは出来るはず。
 希望を持ち始めると突然男の声がした
「4番。お前はこっちだ」
 篠原刑務官が反対側の廊下を指差す。
 そちらは性器検査が行われる部屋があり当然のごとく姉の顔が歪む。
 愛と接触することも出来なくなるし、そもそも近寄りたくない場所でもあったからだ。
「何をしている。俺がその貧相な体を調べてやるから早くこっちへ来い」
 元先輩の挑発的な言葉にカチンと来た姉の口が動く。
 『誰がアンタなんかに』と言いそうになると目の前に見える愛の後頭部が軽く左右に振られた。 
 言葉を発するわけでもない。体を大きく動かすわけでもない。そもそも後ろ姿しか見えない。
 それでも姉には愛が言ってることはわかった。刑務官にはわからない独特の合図。

 姉は愛が風呂場でもこうやって助けてくれたことを思い出す。
 小さく深呼吸をし精神を落ち着かせる。そして指示通りに篠原のそばまで行った。

 篠原は姉の腰から垂れ下がった紐を持つ
 姉は犬のように扱われることにもかなり慣れたつもりだった。
 毎日必ずやられることだし、イチイチ気にしていたら精神が持たないと思ったからだ。
 しかしそれは所詮ただの痩せ我慢。
「あ、はっ……」
 篠原に腰紐を持たれた瞬間、姉の体は電気を受けたようにガクリと力が抜け、これ以上うつむけないほど項垂れた。
 外見は別に何も変わらない。篠原も紐を持っただけなのに腰に巻かれた紐がきつくギュッと締められ手錠も重みが増したように感じた。
 そう。これは理不尽に縛られ、服従させられた女の叫び
 いくら姉の心が無視を決め込んていても体は悲鳴を上げた。
 嫌な男に拘束されるのがこれほどみじめなものかと骨身にしみて知らされた。

「顔を上げろ」
 乱暴に髪の毛を掴まれて顔を上げられた。
 篠原は余計な手間をかけさせるなと言わんばかりの表情をしながら姉を目的の部屋へ誘導していく
 扉を潜り、狭くて汚い古い廊下を通る。
 この区域は立て直されていない古い木造のため歩くたびに床が鳴った。

 姉は床のきしむ音を聞きながら自分の限界が近いことを悟った。
 思えば1週間ほど前から怒ったり落ち込んだりの感情の起伏が激しくなっている。
 ここに来た当初はある程度冷静に対処していたのに今はそれが出来なくなっていた。

(こんなこと繰り返していれば、いずれは他の女性たちと同じように……)
 姉は風呂場で死んだような目をした女性たちを何人も見てきた。
 その女性たちは命じられたまま裸になり、風呂へ入り、緩んだ肛門を刑務官に差し出した。
 そこには一切の羞恥心や躊躇いはない。まるで機械のような感じすらした。
 姉はそんな女性たちを軽蔑した。人間こうなったらおしまいと。
 しかし、拘置所生活が1ヶ月を超えた今だからわかる。あの女性たちは生きるために受け入れただけだったのだと。

 刑務官に手間を取らせないように素早く服を脱ぐことも、求められた以上に尻を開き、肛門の中すら見せようと努力することも全ては生きるため。
 恥ずかしがることを辞めれば怒りもない。プライドを捨てれば惨めさもない。
 刑務官だって人の子だ。手がかからない囚人には優しくなる。
 ガラス棒を入れやすいようにと広がった肛門の穴を見せられれば更生の意思ありの判断を下すかも知れない
 牢獄という閉鎖空間ならではのよく考えられた上下社会がここにはあった。
 
「今日は久しぶりにカンカン踊りをやってもらうぞ。ついでに全ての穴も調べるから楽しみにしてしろ」
 姉は無言のまま暴言を聞き流した。
 そう。あの女性たちがやっていた受け流すは正しい。反論しても得るものがないも正しい。
 だが、理不尽な検査には決して納得してはならないとも思った。  
 もしこれを受け入れたら全てが終わるし、何よりも冤罪を信じてくれた弟に合わせる顔もない。
 姉は今1度心に強い決意をして精密検査室と呼ばれる部屋に入った。
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