佳子は暗い顔をしながら街へと続く通学路を歩いていた。
夕焼けの空がやけに赤く感じられた。この付近は空き地も多く活気というものがまったくない。
そんな寂しげな雰囲気に溶け込むかのように、彼女の心も暗く落ち込んでいた。
それもこれも白鳥が最後に言ったこと。あのトラウマとの言える公民館の仕事をまたやらなくてはいけない現実が重くのしかかっていた
しかも今度はヌード。ありえなさすぎて思考が追いつかない。
なぜこんな目にあわなくてはいけないのか。このまま何もかも捨てて逃げ出せればどんなに楽か。
「はあ〜〜」
何度目かの重苦しいため息を吐くと、子どもの甲高い声がした。
「あ、お姉ちゃんだ」
小学校2年ぐらいの男の子と女の子が可愛らしい走り方をして駆け寄ってきた。
女の子の方は同じ町内に住むあかねちゃんだ。前回の公民館でも父親につれて参加していたのを憶えている。
男の子のほうは誰だっただろうか。顔を知っている程度の子だった。
「こんばんわ。今帰り?」
佳子はしゃがみ込みながら2人に対して笑顔を見せた。
近所の人たちにあそこを見られたのは悔しいが、相手がこんな子供だと話は別。
そこまで不快とは思わなかった。
「うん。ねぇねぇお姉ちゃん。これ見て。この前の絵。上手いでしょー」
学校の友達にでも見せていたのかあかねちゃんが筒の中に入れた絵を楽しげに見せてくれた。
「へぇ。お上手だね〜 びっくりしちゃった」
クレヨンで書いた元気いっぱいの絵。この絵の女性が下着をつけていないことは微塵も感じられない。
佳子は嘘偽りなく絵を褒めた。
「それでねー 次も楽しみにしていたんだけど3年生以下は来たら駄目な日なんだって。つまんなーい」
プーとほっぺを膨らますあかねちゃん。よほど残念だったようだ
「駄目な日ってよくあるの?」
佳子が質問すると男の子が答える
「たまーにあるよ。母ちゃんはその日になるといつも機嫌が悪くなるの」
「機嫌?どうして」
「しらなーい」
男の子が首を振るとあかねちゃんが言う。
「あ、早く行かなくちゃ。お姉ちゃん、ばいばいー」
話がつまらなくなったのか、子供たちは駆け足で公園がある方に向かっていった。
(なるほどね。つまりヌードモデルを呼ぶは町内会でも賛否があるというわけね)
少し考えればわかることだった。そんな単純なことすら思いつかないほど追い詰められていたことに佳子は少なからずショックを受けた。
「と、なると……」
ブツブツと独り言をいいながら佳子は再び歩き出す。
やはり持っているカードをフルに使わなければ勝てるはずもない。
今必要なのは安っぽい目先の感情論ではない。使えるものは全て使うしたたかさ。
そんな思いを胸に彼女は帰宅の途についた。
それから数時間後。
自宅に帰った佳子は弟とともに夕食を取っていた。
相変わらずの気まずい雰囲気が漂っている。関係は日に日に悪化をしていることを感じた。
もちろん姉として弟の微妙な立場は理解している。美術部員として逆らえないことも多いのも仕方がない。男子の性欲にも目を瞑ってきたつもりだ。
だからこそ、これだけはハッキリさせておきたかった。
「隆は私の味方?それても敵?」
佳子は箸を置き、真剣な眼差しで問いかけた。
弟はキョトンとした顔をした。一瞬何を言われたのかわからなかったようだが。
「もちろん味方だよ。家族なんだから当たり前じゃない」
予想以上にはっきりとした返答が帰ってきた。
佳子は頷きながら力強く言う
「なら、嘘だけはもうつかないことを約束して」
「嘘?」
「そうよ。嘘だけは駄目。もう二度と付かないで。約束してくれるならこれまでのことは全部水に流してもいいわ」
姉として佳子は最大限の譲歩をした。こんなことで弟を失うわけにはいかなかったからだ。
「それって姉さんの裸を見たことも?」
「も、もちろんそうよ。家族なんだから裸を見られたことぐらいで怒らないわよ」
散々見られた後だというのに真正面から見た事実を言われると佳子の頬が赤く染まる。
そもそも弟の視線は家族のものではない。実の姉の裸が見たいという歪んだ性欲をぶつけられているのはわかっていたが、そこはあえて触れなかった。
「わかった。約束する」
当てにならない弟の約束を信じるほど姉はピュアではなかった。
問い詰めるかのように話しかける
「ところで隆は私の裸の写真を持っているのね」
「え?」
案の定、弟は戸惑った。全裸写真に関しては一切存在を話をしてくれなかった。
つまり弟にとって裸の写真は大切なもの。もちろん良からぬことに使われているのは容易に想像が付いた。
「まさか持っていないと言うつもりじゃないでしょうね」
今しがた『嘘はつかない』と言ったばかりなのだ。
普段なら決して渡さないものも今なら出す。
そんな計算のもとで彼女は弟を問い詰めた。
「いいから出しなさい」
ようやく弟は胸ポケットから生徒手帳を取り出し、挟まれていた1枚の写真を渋々手渡した。
「まったく。そんなもん持ち歩いて落としたらどうするのよ。 ……って。うっ」
写真を持った佳子の眉毛が上がる。見なれた裸とは言え自身のあられもない全裸写真は強烈である。
しかもこの写真は初日の身体検査の時に撮られたものだった。
わけがわからないまま裸でカメラの前に立たされた屈辱は今でも忘れない。
こんな写真が美術部員に出回り、弟が手に入れていたことに怒りがこみ上げてくる。
佳子の手に力が入ると弟が「あっ」の声とともに止めようとする動作を見せたが、そのまま問答無用とばかりにビリビリと細かく破り捨てた。
「さぁ、話してもらうわよ。白鳥は公民館を依頼を受けて何をしようとしていたの。最初ヌードを断った本当の理由はなに」
「えっと……」
弟がしぶしぶ話し出す。語られた内容は新事実も何もない予想の範囲内の話でしかなかった。
それでも彼女が自信を取り戻すには十分な内容だった。