プロローグ
20**年。大国カストルとの戦争に敗れ、占領下に置かれた小さな国シュリラに一風変わった法律が制定された。
性行為義務法。通称『女の義務』
この法律は個人が無許可でセックスすることを固く禁じていた。
それは恋人はもちろん、夫婦間も例外ではなく、許可を得ないままセックスをしたものには重い罪に問われた。
しかし、セックス禁止だけであれば、まだ救いはあったかもしれない。
この法律の最大の特徴は性行為の相手を行政が選ぶことだった。
すなわちこの国の国民は誰ともしれない相手と性行為することを義務付けされたことになる。
国の方針を聞いた誰もが絶望をした。
いくら皆殺しが避けられたとはいえ、あまりに個人の尊厳をないがしろにした内容だったからだ。
あちらこちらで自殺者が相次ぎ、殺されるのを覚悟で反旗を上げるグループも複数立ち上がった。
だが占領軍は力で反発を押さえつけた。
それから3年後。国は平穏を取り戻していた。
法律の性質上、一見すると戦争前と変わらない暮らしを国民は送っているように見える。
しかし、性行為義務法の歯車は社会のシステムに組み込まれ、ゆっくりと回り始めていた。
占領国の真の目的を叶えるために。
本文---------------------------------
首都から遠く離れた中規模の町並みに朝日が昇る
温かい日差しを浴びながら、まだ若奥さんといえる年齢のジェーンが早朝のごみ捨てから戻り、自宅へ戻ろうとしていた。
「あら、ジェーンおはよう。いつもより早いわね。どうしたの」
隣の家に住む30代後半の女性が声を掛けてきた。
彼女の名はフロラ。ジェーンとは昔から気が合う主婦仲間だった。
「おはようございます。今日はいい天気なので早めにやろうと思いましてね」
ジェーンがお辞儀をすると、肩まである長い髪がふわっとなびく。
なんてことない日常の光景。一見すると生活に不満がない主婦たちの姿がそこにはあった。
「そうそう。聞いてよ。今度うちの旦那のカートが……」
フロラが会話を続けようとするが、ジェーンは「しっ」と言ってそれを遮る。
そして視線を僅かに右に向けた。
もう長い付き合いであるフロラだ。
それだけで今の状況を把握してくれた。
フロラが道に止まっている不審な黒い車をチラリと見る。
いつからいたのか。その車はまるでこちらを監視するような位置に止められていた。
「あ、そうだ。鍋の火を付けっぱなしだった。ごめんなさいね」
パタパタと早歩きをしながらフロラは、自分の家へと戻っていった。
一人残されたジェーンは背後からの視線を感じつつ自宅の敷地内に入る。
すると、車は爆音を響かせながら道を走り抜けていった。
「ふぅ」
ジェーンは監視の目が無くなったことを確認し、家の中へと入った。
しかし、その表情は固く険しい。先程の笑顔が嘘のようだ。
だがそれも今の状況を考えれば無理はなかった。
彼女は夫こそ早く病で失くしたが、二人の子宝に恵まれ、本当なら今でも幸せな生活を送っているはずだった。
そう。戦争さえ起こらなければ。
ジェーンがリビングに行くと、高校3年らしい少し大人びた息子がまだ朝食を食べていた。
朝食はまだ半分近く残っている。
息子はフォークを置き「はぁ……」と大きなため息を付いた。
「どうしたの。元気ないわよ」
ジェーンが息子に声をかけた。
「別になんでもねえよ」
息子は視線を合わさず立ち上がる。
やはり、これ以上は食べないようだ。
少し前まではガッチリした体つきだったのに、今は弱々しく見えた。
「学校でなにかあったの?」
いくら社会が落ち着きを取り戻し、学校も再開しているとは言え、今は占領下なのだ。
なにがあってもおかしくはない。
ジェーンは心配になり息子を問い詰めた。
「うるっさいな。昔と変わらねーよ」
「本当?」
「ああ、俺は男だからな。毎日怯えている女子とは違う」
息子は怖い目つきをしながらはそう答えた。
「それってどういう意味?」
ジェーンが聞く。
だが、息子は立ち止まることなく、
「考えればわかるだろ。クラスの女子は17歳なんだから。じゃ行ってくるわ」
と、言って出ていった。
息子の話を聞き、思わずジェーン立ち尽くす。
17歳と聞いて思い当たることはただ一つ。
この国の女性を苦しめている許しがたい悪法。性行為義務法。女の義務だ。
確かにあんな法律が施行されている状態で女子生徒が楽しい学校生活を送れるわけがない。
たとえ性行為の命令が来なくても、いつ犯されるかわからないプレッシャーは相当なもののはず。
ジェーンが深刻そうに考え事をしていると、物音とともに扉が開く。
息子とすれ違うようにセーラー服姿の娘のアガサがリビングに入っていた。
「おはよう……」
姿を見せた娘の顔色は妙に赤く、声も弱々しい。
息子とは違い、アガサは数日前から様子がおかしくなった。
最初は戦争と敗戦と言う普通ではありえないことが起こり、心労がたたったからと思っていた。
だが、本当にそれだけなんだろうか。
「ちょっと大丈夫なの」
心配になったジェーンはアガサに駆け寄り、手を掴んだ。
娘の手は震えていた。先程の息子の話がジェーンの頭をよぎる。
なにしろ、娘は高1になったばかりだ。
そしてあの法律の該当年齢は15歳から45歳まで。
法律に沿えば、娘のもとにセックスをする相手の名が書かれた赤紙や、性行為許可書を持った男が接触してきてもおかしくはない。
もし、そうなれば娘はその男に穢れ無き肌を見せ、体を与えなくてはならない。
最悪のシナリオが頭に浮かぶ。
そんな母の様子を気遣ってか、娘は突然普段と変わらない明るい声を出し、笑みを浮かべた。
「ははっ。母さん。やだなぁ。なんともないわよ。今日は嫌な宿題があって気分が落ち込んでいただけだから」
その姿を見てジェーンは、より心配になった。
この子はいつもそうだ。人に心配させまいと常に気を使う。
どんなに自分が辛くてもそれを打ち明けたりはしない。
「嫌なことは嫌と言ってもいいわよ」
真剣な眼差しでジェーンは語った。
それは娘が女の義務を拒否し、親が死刑になっても恨まないと言う母の愛。
「ありがとう。でも本当にそんなのじゃないから。だって私はまだ高1よ。そんなことあるわけないじゃない」
「それじゃ高校の様子は……」
「ちょっと変な授業が出来たけど雰囲気は昔と変わらないよ」
娘はあっけらかんと答えた。
高3である息子のクラスとは違い、高1ではそんな差し迫った危機はないという。
そう。常識を考えればいくら占領国でも15、6歳の女の子に見たこともない男の相手を強要させるなんてあるはずがない。
彼女らはまだ中学3年か高校1年の子供でしか無いからだ。
15歳からという法律の該当年齢はあくまで敗戦国民に対する脅しであるはずだと。
娘が母親譲りの長い髪をサラサラと靡かせながら玄関に向かう。
「それじゃ、行ってくるね。今日はちょっと遅くなるかも知れないから心配しないでね」
去りゆく娘の姿を見て、ジェーンはドキッと心臓が高鳴った。
娘があまりに色っぽく見えたからだ。
スカートに張り付くお尻の形も綺麗で、薄い制服の上からもわかるほど乳房も大きく……見える?
「ちょっと待ちなさい!」
先程から感じていた違和感の正体にようやく気が付いたジェーンは咄嗟に娘を引き止めた。
なぜ気づいてあげられなかったか。思えば最初から顔が赤く恥ずかしそうだったのに。
「ん?そんな怖い顔してどうしたの」
娘が平然としているが、それも理由がわかった今となっては痛々しい。
「なんでブラを着けていないの」
ジェーンは怖い顔つきで問い詰めた。
「えっ」
すると娘は胸を隠すように腕をクロスさせ、顔を真っ赤にした。
必死に耐えていたことを見破られて恥ずかしさが一気に出たようだ
「今日は学校を休みなさい。いや、いっそのこともう行かなくていいから」
娘が学校でどんな恥ずかしいことをされているのかはわからないが、ノーブラを強要するようなところに行かせるわけには行かない。
ジェーンは学校に連絡しようとケータイを取り出す。
「止めて!!」
娘は普段聞いたこともない強い口調で叫ぶ。
「え?」
驚きのあまりケータイを床に落とす。
信じられない思いで娘を見た。
「そんなことしないで。母さんや兄貴には迷惑を掛けないから……お願い」
そう言うと娘は両腕を下ろした。
セーラー服の上からも大きな乳房の形や乳首の位置がはっきりと見えた。
このツンと浮き出ている乳首を男が見れば誰もが誤解するだろう。
この女は見られて興奮していると。
「わかったわ。もう何も言わない」
ジェーンは自己嫌悪を襲われていた。
やったこと全てが、娘を苦しめただけだったとわかったからだ。
今、思えば娘は息子とすれ違いにやってきた。
それは兄に自分の恥ずかしい姿を見られたくなかったことに他ならない。
もちろん、母にも知られたくなかったはずだ。
それなのに、わざわざ見せるような行動を取らせてしまった。
手のガードが外した時、娘から感じた悲しみと恥かしさは、同じ女性であるジェーンが1番よくわかっていた。
「……行ってきます」
アズサが玄関に向かった。
息子も娘も過酷な運命と戦っている。
ジェーンは自分の力ではどうしょうもない現実に打ちのめされていた。