翌朝
起きる時間だと言うのに絵玲奈はまだ布団の中にいた。
目は覚めている。いつもならパジャマを脱いで着替えている時間だ。
しかし布団から出る気にはなれない。監視の目があるからだ。
パパはこのことについて何も言わなかった。だが住み慣れた家であり部屋なのだから気がついているはずだ。
色々なものが微妙に動かされていることに。
例えば本棚に置かれているクマのぬいぐるみ。明らかに動かされた形跡がある。
泥棒がクマのぬいぐるみを少しだけ動かして去るなんてありえない。
あの位置にカメラを置けば部屋全体を見渡せる。そのために動かしたとしか思えない。
目覚ましが鳴ってから30分は経過した。
既に朝食を食べる時間もない。このままでは完全に遅刻だ。
覚悟を決めた絵玲奈は布団から出た。
あくまで自然体でパジャマのボタンを一つ一つ外す。
同級生に比べると色々と足りたい部分が多く、人様に見せるような体ではないのは理解している。
それでも人並みに羞恥心はあった。下着姿になるだけで心臓の鼓動が早くなる。
カメラがあると思われるクマに向かってブラを外す気には到底なれなかった。
結局、彼女は下着を取り替えること無く制服を着た
ただし教科書と一緒に新品のブラとパンツをカバンの中に突っ込む。
(このぐらい許してよね)
絵玲奈は心の中で父に詫びた。
いくら普段と変わらないようにと言われても限度がある。
そのせいで逮捕される確率が上がっても出来ないものは出来なかった
下に降りると丁度父がトイレから出てくるところだった。
父はパチっとウインクする。何のサインだろうかと彼女は思ったが出てきたところがトイレであることに察しが付いた。
『わかっているよーだ』と絵玲奈は心の中でドヤ顔をした。
トイレの中は昨日確認して安全であることを確信していたからだ。
なんと言ってもうちの家のトイレは狭くて物一つ置かれていない。
カメラなんて隠す場所が何処にもないのはひと目見てわかった。
トイレを済まし朝食を済ませた絵玲奈は「行ってきます」と掛け声を掛け、家を出た。
人混みの中、電車に乗り徒歩5分。無事に学校到着した。
「絵玲奈、おはようー」
校門をくぐるとクラスメートの女子が走るように通りすぎていく。
母親が逮捕されたときのことを考えればよくここまでみんな普通に接さてくれるようになったと思う。
今の社会は逮捕された時点で犯罪者と変わらない扱いを受ける。
当然、娘の絵玲奈も色々な目にあった。
冤罪だと発表されてからは絵玲奈自身の扱いは改善されたが母親の人権は未だに守られていない
「おはよう」
絵玲奈がひと声掛けながら教室に入ると突然静まり返った。
一部の男子たちは黒板を眺めニヤニヤとし、女子たちはどうすればいいのか困っている。
見飽きたいつもの光景だった。
「まったくいつまでこんなことを繰り返すのよ」
絵玲奈はどかどかと黒板に駆け寄る。
最初やられた時はショックで泣きそうになった。
いくら法律で逮捕された人物の情報は公開され、どんな使われ方をされても文句はいけないとは言え、母親の屈辱的な姿が黒板に張り出されているのだ。
冷静でいられるわけがない
「俺じゃねぇよ。来た時はもう張ってあったし」
ガラの悪い男子の種村が言う。
絵玲奈はB5程度に引き伸ばされた2枚の写真を引っぺがす。
1枚目はスーツ姿の母が手錠腰縄姿で警察に連れて行かれている写真。
そしてもう1枚は普通の社会なら決して表に出るとはないであろう全裸体で直立不動をしている屈辱的な写真。
この写真が貼られたのも一度や二度ではない。
犯人は未だにわからないが、単独犯のように思えた
なぜなら全裸写真はそのまま貼り付けるのではなく、なぜか乳首と股間はいつも黒マジックで塗りつぶられていたからだ。
理由はわからない。見ようと思えば誰でも見られる写真なのにわざわざ塗りつぶす理由がわからない。
「ねぇ誰か知らないけどもう止めようよ。私達クラスメートなんだからこんなことしたら可哀想だよ」
委員長はいい友人だった。
だが問題解決になにも役に立たない人物でもあった。
絵玲奈は写真を丸めながら言った。
「だから何度も言うけど母は何も悪いことをしていないし、あんたらに裸を見られる筋合いもない。これ以上侮辱したら許さない!」
静まり返る教室。
そんな中で男子がふてくされながら話す
「でもまだ刑務所にいるんだろ。なら裸を見てもいいだろ」
ざわざわとざわめく教室。
逮捕されたものは連行時の手錠腰縄姿と裸の写真を撮られ公開される。
情報公開の流れで決まったとか言ってるが、どう考えてもただの見せしめであり相互監視社会を作るための口実だった。
そう。全裸写真は逮捕された人物に国民が興味を持たせるための餌。
逮捕された人物は文字通りプライバシーが丸裸になり、国民全てに逮捕者の顔、体、生い立ちの情報が行き渡る。
それはたとえ釈放されても逮捕された人物は永遠に国民の監視を受け続けることを意味してした
「いつもいつも突っかかってきてなんなのよ。何がそんなに気に入らないの。もしかしたらこの写真を張ってるのって種村なの?」
法的な正論を言われてカッとなった絵玲奈が種村を指差す。
種村とは中学からの腐れ縁だ。
仲が良かったことは一度たりともないが、なぜか毎回ちょっかいを出してくる。
ちょっかいと言ってもからかいの言葉以上のことはやられた記憶もないが、いい印象はもちろん無かった。
「俺はそんなことしねぇ。さっきも言ったが朝一番に来たらもう張ってあったんだよ」
「どうだか。怪しいものだわねー」
絵玲奈は呆れたように手を広げて自分の席に向かって歩き出す
いくら逮捕された人物の写真とは言えここは学校なのだ。
裸の写真が貼られて誰も剥がそうとしないのはどういう了見なのか。
「そういや、さっき警察の人に絵玲奈のこと聞かれたんだが」
「……あんたそれでなんて言ったの」
彼女の顔から血の気が引くのを見て取れた。
もし種村が変なことを言ったらそれだけで破滅する可能性すらあった。
「ムカついたからあんなブス知らねぇよと言って追っ払ってやったわ」
」
「え? 何も話していないの?」
「誰があんな奴らに話すか。でもやたらしつこかったから気をつけたほうがいいぞ。あいつら本気だ」
他のクラスメートも心当たりがあるのか何人か頷く。
どうやら何人かは絵玲奈を庇ってくれたようだ。
「みんなありがとう。種村も案外優しいのね」
ブスと言われながらも種村の心遣いに感謝していた。
もしかしたらいいやつなのではないかの思いすら浮かぶが、
「か、勘違いするなよ。絵玲奈がもう少しスタイルが良ければ逮捕された後のお楽しみもあったんだが、その貧相な胸じゃ見せられる人のほうが可愛そうだと思って話さなかっただけだぞ」
種村は照れ臭そうに暴言を吐いた。
誰が見ても照れ隠しなのは明らかだったが絵玲奈にはそれがわからない
「なによそれ。やっぱ最低!!」
ぷんぷんと怒った顔を見せながら絵玲奈は自分の席に付いた。
いつもの夫婦漫才を見せられてクラスの空気はほっとした空気が流れる。
絵玲奈は犯罪者の娘。その思いがクラスメートから消えることはない。
だが平穏に学生生活を送りたい。思いもまた事実だった