入院患者の朝は忙しい。
朝の体拭きに朝食。一息つく暇もなく、検診の時間がやっていた。
優奈は急いで自分の頭に手をやり、軽く髪の毛を整える。
もちろん、そんなことで綺麗にならないのはわかっているが、主治医に会うのだから最低限の身だしなみは整えたい。
たとえ、ろくに身体が動かなくても、女子高生らしい行動だった。
「石井さん。診察の時間です」
病室独特の重みのある引き戸がガラガラと音を立てながら開き、ぞろぞろと部屋の中に人が入っていた。
やってきたのは60歳近いと思われる担当医と、先ほど体拭きをやったベテラン看護婦。
そして若い白衣姿の男女4人。
普段なら担当医と看護婦の2人だけが入っているはずだが今日は違う。
優奈はズカズカと入ってきた若い男女を見て、軽く眉を潜める。
「石井さん、体を調子はどうですか。痛くありませんか」
そんな優奈の不安を取り除くように、老練の担当医は外見に似合わない優しい声を出した。
「ええ、痛みはありませんが、まだ足が動かないんです」
いつもと変わらない担当医の声に安心したのか、優奈は少し笑顔を見せながら答えた。
「そうですか。では見てみましょう。婦長。全裸のY」
担当医がそう言うと、先ほどまで明るかった優奈の表情が一気に暗くなる。
(やはり全裸)
朝の診察は医師によって、その対応が分かれる。
胸を少し肌蹴させる医師と、全裸を指示する医師。
優奈の期待も虚しく、このベテラン担当医は常に全裸を選択していた。
担当医の指示を聞いた看護婦が優奈に掛けられているシーツを外す。
スラっとした彼女の足首を手で持ち、左右に広げようとする。
(やだ)
今の優奈には足の力が全くない。
それでも足を開かせるのを止めようと、必死に力を込めようとする。
だが、無駄なあがきだった。
抵抗も虚しく、あっさりと両足は肩幅まで開かれた。
看護婦は優奈のパジャマを紐を解き、なんのためらいもなく合わせ部を開いた。
ベッドには足を広げて仰向けになる全裸女性の姿。
足の向こう側にいる若い白衣の人たちから、なんとも言えない緊張が漂った。
生唾を飲み込む者。思わず顔を背ける者。驚いたような気配を感じさせながらも平然と裸を観察する者。
反応こそ様々だったが、誰もが優奈の裸を一方的に見ていることには変わりなかった。
優奈は他人の手で裸にされ、勝手に足を開かされるのを、悲痛な表情でみていた。
この主治医の診察を受けるのは3回目だが、過去3回とも足を開いての全裸診察だった。
優奈にはこの全裸検査にどんな意味があるかはわからない。
わからないが、文句は言えない。
それが患者というものなんだと強引に自分を納得させていた。
「ふむ、では見ましょう」
ベテラン医師は聴診器を使い、優奈の胸の音を聞く。
女子校生の胸を触っているというのに医師の手つきにはいやらしさは全く無い。機械的な動きだった。
それもそのはず。数多くの患者を見てきた老年の医師に取って優奈の裸は物に近かった。
性的な意味合いを持つことはありえない。
そのことは彼女もよく理解しているが、
(なぜ私はこんな爺さんに裸を見せて体を自由にさせているんだろう)
いくら医師として信頼していても、爺さん相手に体を開き、好き勝手に触らせているのもまた事実だった。
「ふむ。足の麻痺はかなり良くなっていますね。これなら近いうちに歩けるようになると思いますよ」
体のあちらこちらを触りながら医師は優奈に向かって話す。
「本当ですか。また歩けるようになるのですか」
その言葉を聞き、優奈は嬉しそうな声を出す。
先ほどまで嫌で仕方がなかった事なんて忘れて、全裸を晒したまま医師に問いかける。
「リハビリを頑張れば出来るようになりますよ。ただ一人で起きたり、歩いたりするのはかなりの時間がかかるかもしれません。一つ一つやりましょう」
「は、はい。ありがとうございました」
「いえいえ、さて」
ベテラン医師は優奈から視線を外し、ベットの端っこにいる4人の若い白衣姿たちの方向を向く。
そして恥ずかしそうに下を見ていた若い女性に向かって、
「こら、きちんと患者を見なさい。そんな態度では患者に失礼でしょう」と怒鳴りつけた。
「ひ、すみません」
怒られた若い女性は体をビクリとさせて優奈の裸を見た。
女性が立っているところは丁度優奈が開いている股の間の向こう側。
つまり、藤井の目には優奈の女の中身が丸見えになっていた。
他の若い3人もつられて、優奈の裸にジロジロと見る。
(いやぁ)
優奈は自分の裸が複数の人達に見られていることを思い出し全身がカーッと熱くなった。
(そんなに見ないでよ。何この人達。本当に医者なの)
医者と一緒に若い人が付いてくることは数日前もあった。
あの時は、優奈の体調も悪く若い人たちを気にする余裕もなかったが、今回改めて見ると明らかに変なグループだった。
「診察は終わったので服を着せてあげてください。ここまで良くなれば、もう私でなくてもいいでしょう。引き継ぎますのでこれからは次の医師の指示に従ってください」
「え、変わるのですか?」
「ここは優秀な医師ばかりですから大丈夫ですよ」
ベテラン医師はドアの方向へ向かい病室から出ようとする
「短い間でしたがありがとうございました」
優奈は俯いて感謝の動作を取る。
もし、体が動ければ素早く立ち上がり大きく頭を下げてお礼を言いたい気分だった。
足を開いての全裸検診は嫌で嫌でたまらないが、自分の命が助かったのはあの先生のおかげ。
それだけは間違いなかった。
「ではお大事に」
ベテラン医師は優奈の顔をもう一度だけ見て、嬉しそうな表情をしながら他の人達とともに病室から出て行った。
人がいなくなり、静けさを取り戻す個室。
「明日からリハビリ頑張らなくちゃ」
歩けるようになれば、この忌々しい尿袋からも解放されるし裸にされることも少なくなるはず。
入院後初めて、優奈は明るい表情を見せ、明日への希望を胸に頑張ることを決意した。
エピローグ
午後7時。入院患者の夕食が終わり、静けさが増した病院の一室に次々と若い看護学生たちが入っていく。
皆、疲れた顔をしており、その足取りも弱い。
実習も7日目に入り、誰もが予想以上の大変さを感じ取っているようだった
そんな重苦しい部屋の空気を変えようとばかりに、おおよそ真面目そうとは程遠い男が口を開く
「うちのグループは神経内科の高齢者ばかりで疲れたわ。そっちはどうだった?」
「外科も大差ないけど一人高校生の女子がいたね」
気分転換とばかりに男の近くにいた学生が話に乗る。
「女子高生か。いいな。顔は可愛い?」
「可愛いけど見ているほうがてれるね。だって服を着ている姿より裸を見ている時間のほうが長いんだぜ。いくら可愛くてもねぇ」
学生が手を広げて呆れた顔をしながら話を続ける。
「そんで一緒にいた女子とか照れてしまって顔を伏せていたら教授に怒られたよ。その子は罰として浣腸の練習台だったさ」
「あらら、カワイソ。でも自分がそんな目にあったら慣れるものかもね」
そのような雑談が聞こえる中、優奈の担当である紀子は人声を避けるように部屋の隅にある椅子に座っていた。
いつもなら気にならない他人の雑談も、今日は苦痛に聞こえた。
それだけ優奈に責められた事実が、彼女の心に重くのしかかっていた。
「はい。皆さん静かに」
いつの間に来たのか。指導医が学生たちを見ながら話しだす。
「今から明日の持ち回りをいいます。各自メモを取るように。A班は4階に行ってください。B班は5階をお願いします」
(あ、来週は優奈の担当じゃないんだ)
あんな形で別れることになり、紀子の胸がチクリと痛んだ。
「以上です。各生徒は引き継ぎをやるように」
看護師にとって患者との別れは日常の出来事。
いちいち干渉にふけっては、とてもやっていけない。
紀子は私情を押し殺しながら次の担当になるグループに声を掛けた。
「えっと、私、301号の患者の担当のものですか」
「301号?それなら俺だな。高木っていうんだ。よろしく。で、その患者ってどんな子?顔は可愛い?」
グループ内にいた一人の男子が馴れ馴れしく質問を返してくる。
今まで見たこともない生徒だった。
「どんな患者って素直でいい子ですよ」
紀子は高木の態度に躊躇いながらも、優奈の介護方針が書かれた用紙を渡した。
「へえ。高校2年で看護5なのか。そりゃ大変だな」
「意識がはっきりしているので余計可哀想でね」
「それなら早いうちに挨拶にでも行ってくるか。乳房も見ておかないといけないしな」
高木が廊下に出ようと歩き出す。
「え?、今なんて言ったの」
思わず呼び止める紀子。
「だから挨拶に行こうかなと」
「そのあと!」
「乳房を見るってこと? だって全介護の患者なんだから脱がさないと何も出来ないだろ」
「確かにそうだけど今見ることは無いじゃない」
「いやいや、こういうことはお互いに早いほうがいいって。明日いきなり担当が変わりました。全裸になってくださいは可哀想だろ。だから今のうちに挨拶をして
乳房も見せてもらう。つまり慣れよ。裸を見せることに慣れてくれれば患者も楽だろ」
「そんな無茶苦茶な。必要もないのに胸を見せることが患者のためになるとか意味がさっぱりわからない」
と、言いながらも、紀子の心に今朝の出来事がよぎる。
あの時、優奈は裸を見せることを嫌がった。
これは患者との信頼関係の構築に失敗した証。
そんな自分が、他人のやり方にケチを付けるなんて、あまりに身の程知らずではないのだろうかと。
「なんにしろ、あの患者の担当は俺なんだから、後のことは任せてほしいな」
「……」
そう言われると何も言えない。
「もう話がないなら俺は行くわ。じゃな」
呆然と立ち尽くす紀子を置いて、高木は廊下へと出て行った。
「……あっ待って」
このまま行かせたら、優奈が恥ずかしい思いをする。
紀子は高木を引きとめようと手を伸ばす。
スカ
だが、手はむなしく空を切る。そこには誰もいなかった。
それもそのはず。高木が部屋から出てから、軽く数分は経過していた。
既に高木は優奈の病室へ入り、先ほど言ってた『挨拶』とやらをしている頃だった。
(私って駄目ね)
紀子は大きくため息を付いた。
自分の患者を他人に任せることが、こんなに辛いものだったとは。
彼女は初めてその重みに気がついた。