昼
食事を終えた姉は畳の上に正座をし眼を閉じた。
まるでそうすることで、現状を拒否するとでもいうように。
突然、部屋に不快な音が響き渡った。
ガジャという音とともに、扉の鍵が開けられ、見たこともない若く学生のような女性新人刑務官が部屋の中へと入ってくる。
「えっと。4番。今日は午後から検察の取り調べがありますので準備しておいてください」
新人刑務官はたどたどしく書類を取り出しながらそう言った。
取り調べと聞いて姉は眉をひそめる。
また同じことの繰り返しかと思い、溜息を付いた。
留置所では警察相手に。ここ拘置所では検察相手に。
彼女は何度も何度も自分はやっていないと言い続けてきた。
しかし結果はいつも同じ。相手は姉を犯人と決めつけて同じことを聞いてくる。もううんざりだった。
「取り調べの場所はどこですか」
姉は思わず若い刑務官に質問した。
本来ならそれは規則違反。ペナルティーを受けても仕方がない行為だったが、若い刑務官はそこには触れずに、
「取り調べは青葉拘置所ですから移送になりますね」と言った。
「わかりました。わざわざすみませんでした」
姉は正座のまま頭を下げて刑務官にお礼を言ったが、内心は不満と不信感で一杯だった。
普通は検察がここに来て取り調べをやるはずなのに、なぜ来ないのか。
自分のような収監された人が外に行くためには、数多くの手続きや厳しいチェックを受けなくてはならない。
チェックの中には女として、いや人間として経験したくないものも多い。
なぜそんな手間を掛けて呼び出されるのか。
(どう考えても答えは一つよね)
惨めな思いや恥ずかしい思いをさせて早く自白させようとする作戦。
相手はこんな小娘が厳しい薬物事件専用の拘置所生活に耐えられるわけがないと思っている。
(負けるものですか)
心の中で姉は力強く宣言した。
ここで自分が折れれば全てが終わる。弟の頑張りすら裏切る行為。
誰がなんと言おうとそれだけは出来なかった。
2時間後
「4番。時間です」
鉄格子の扉が開き、先ほどの新人刑務官、喜美が部屋の中へ入ってくる。
その姿を見た姉は黙って立ち上がり、両手を喜美の前に差し出した。
これは移動の際に行われる決められたポーズ。
喜美はたどたどしく、姉の両手に手錠を掛ける。
「くっ」
両手の自由を奪われ、手首に食い込む冷たい手錠の感覚に姉の視界は歪む。
目眩を感じた姉は深呼吸をして、自分を落ち着かせる。
一ヶ月たった今でも、ここの儀式に何一つ慣れない彼女ではあったが、自分を見失うことだけはなくなっていた。
いかに心を落ち着かせて、気持ちを切り替えるか。
知らず知らずのうちに彼女は、ここで生きる上のコツを会得していた。
「大丈夫?」
喜美は、まるで自分に手錠をかけたような痛々しい表情し、姉の様子を心配する。
姉はそんな刑務官に親しみを感じながら「大丈夫です」と答えた。
「次は腰縄をつけるね」
姉の腰に縄がかけられる。
相変わらず、喜美の手つきは辿々しい。
明らかに人を縛るのに慣れていない感じだった。
姉は悲痛な表情で自分の姿を見ていた。
手錠から伸びる2本のヒモ。
そのヒモを腰に巻きつけながら後ろで縛り、余った部分を刑務官が後ろから持つ。
これが牢から出る際に必ず行われる前手錠、腰縄姿の基本スタイル。
どんな目にあっても負けないと心に決めた姉であったが、この姿をさせられるたびにその決心が摺り下ろされ、身も心も犯罪者に落とされていくのを感じた。
「4番の拘束確認。準備室へと移動します」
姉は喜美とともに廊下に出た。
喜美はまだ人を犬のように繋いで歩くのに慣れていないのか、動作が非常に不安定だった。
突然、後ろから縄紐を引っ張られ、姉がバランスを崩すことも何度もあった。
そのたびに喜美は「ごめんなさい」と謝る。
しらずしらずのうちに姉はこの喜美に好感を持っていた。
これまで見た刑務官は自分を縛り、相手の気持ちを考えない人たちばかりだったが、この新人は違う。
もし、こんなところで出会わなければ、いい友人として付き合えたはずだと。
西口エリア。
この拘置所では出入り口に近く、もっとも警備が厳しい外部ブロックに着く。
姉と喜美は外部ブロックの最奥にある準備室へ入った。
準備室には50歳過ぎと思われる中年の男性刑務官が机に向かい、なにやら書類の整理をしていた。
男は手を止め、姉の方をじろっと見る。
厳格そうな男。初めて見る顔だった。
喜美は姉の手錠と腰縄を外す。
拘束を外したのを確認した男性刑務官は姉に向かってこう言った。
「規則に則り本人確認をします。4番。服を全部脱いで指定の位置に立ちなさい」
「は、はい」
姉は眉をひそめて表情を曇らせながら、なんとか決められた返事をする。
彼女は思った。
この男を怨むのは筋違いだ。
刑務官は上が決めた仕事を、ただやっているだけであり、本人はなにも悪くない。
しかし最も納得できない規則である本人確認の作業がこれから行われるかと思うと文句の一つも言いたくなる。
本人確認。正式名、識別のための身体検査。
外部ブロックへの引渡しの際に行われる作業手順の一つ。
本人確認は顔だけはなく、入監初日に調べられた身体的な特徴とも比較する。
刑務官は被疑者の全てが書かれた身分帳と、対象者の全裸を見比べて、その者が本当に本人かどうか判断する。
姉は身分帳に何が書かれているかはしらない。
ただ、入監初日に調べられた体の箇所を考えると、見るもおぞましいものが、纏められているのは間違いなかった。
姉はじっと見つめる男の視線を気にしながらもシャツを脱ぎ、上半身裸になる。
次にズボンを下ろす。
白のパンツ一枚の姿になった姉は強い羞恥を感じ、手の動きが止まる。
戸惑い。悲しみ。怒り。様々な感情が渦巻く。
意を決して残された白いパンツを一気に下ろす。
全裸になった彼女は、手で胸と股間を隠し、体を縮こませながら、机の椅子に座る男の前まで行った。
目の前に全裸の女子大生が立っているというのに男は表情ひとつ変えない。
ただ黙って姉をじろっと見る。
そして感情がまったく感じられない低く静かな声で命じた。
「直立不動」と。
それは手をおろして全裸を見せろの指示。
姉の不満気な表情に屈辱と絶望が宿る。
こうなることは最初からわかっていた。
わかっていたはいたが、初対面の中年男に全裸を晒さなくてはならない理不尽さは、そう簡単に割り切れるものではなかった。
いくらこんなの間違っていると思っても規則には逆らえない。
冤罪を証明するためにも、こんなところで問題を起こすわけには行かなかった。
この拘置所で生活する以上は従わねばならない。
姉は震える手を必死に下ろし、直立不動のポーズを取り、その初々しい穢れ無き裸体を男の前に晒した。
「うっ」
手をおろし全裸を見せたその瞬間、姉の体がふらつく。
それは赤の他人に裸を見られたくない女の本能とも言える抵抗。
姉はなんとか気持ちをごまかそうと、視線を男から外す。
すると部屋の端に、先ほどの喜美刑務官が立っているのが見えた。
喜美は悲痛な表情で姉の全裸を見ていた。
姉のむき出しになった形のいい乳房を見て悲しそうな顔をし、本来なら人目に晒されてはいけない下半身の薄い陰毛を見て思わず目をそらす。
同じ女性として全裸にならざる負えない姉の立場に同情しているような雰囲気だった
そんな落ち着きの無い喜美とは裏腹に男性刑務官はまったくの無表情だった。
ただジッと、姉の全裸を見つめて、身分帳と照らし合わせている。
この男からは、昨日の先輩や点呼の刑務官のような、性的ないやらしい視線は感じられない。
ただ淡々と指定されたポイントである体つきを見て、記入された位置にホクロがあるのかを確認するために視線を走らす。
姉は無感情に自分の体を見られる状況に、なんとも言えない惨めさと怒りを覚えた。
朝の見回りのように、いやらしい目で自分の裸を見られるのはもちろん辛い。
端っこにいる喜美みたいに変に同情されると、惨めさを強く感じてしまいこれも辛い。
だからといって、この男のように無表情で裸を見られるのも、どこか女のプライドを傷つけ、屈辱感を感じさせた。
「4番本人と確認。着衣よし」
まるで商品チェックのような検査が終わる
「ハイ」
姉はホッとした表情を見せながら、決められた返事をし、急いて服を着る。
「ここから先は護送係の担当なので私はここまでね。気をつけて行きなさい」
喜美は優しい顔で姉に声を掛けた。
それは嫌味でも何でもなく本当に気を使っている言葉。
姉は小さく頷きながら、護送係とともに準備室を後にした。