逮捕された姉 29話

29話 弟の悩みと謎の婦人

午後1時。面会室

「本当にいいんだな。規則とは言えみんな外しているから無理する必要はないんだぞ」
 神崎刑務官の言葉に姉は一瞬言葉を詰まらせた。
 手首には手錠を掛けられ腰には縄が巻かれている。おまけに使用感たっぷりの体操服に剥き出しの太ももが丸見えのショートズボン。
 家の中ですらこんな丈が短い物を履くことはない。
 どう考えても家族と対面するような格好ではなかった 
 おそらく親が見たら変わり果てた姿に泣き崩れる。

「ええ、構いません。規則なんでしょう。なら守らないと」
 前回は面会室の外で手錠や腰縄を外してくれた。
 普通の拘置所ならそれが普通だがここではそうでもない。
 あの行為は違反なのだ。冤罪であることを証明するためにも模範的な行動を取ると決めた彼女からすれば、そんな善意に頼るわけにはいかない。

(弟か……)
 弟と会っても事件の解決に繋がらないことは十分理解していた。
 いくら前向きに考えても弟が新事実を持ってくるなんてあるはずがないからだ。
 ならなぜ会うのか。面会となれば肛門にガラス棒を受け入れなくてはならないのはわかっているのに、なぜ会いたいのか。
(そんなこと決まっているじゃない)
 弟はたった1人無実を信じてくれた。
 そんな弟が会いたいと言って来ているのだ。会わない理由がない。

 面会室に入ると上部をガラスで遮られた向こう側に弟がいた。
 椅子から立ち上がり笑顔を見せる。
 まだ、会話は許されてはいない。姉も静かにうなずく。
 すると弟も軽く頷きながら視線を下へと動かす。
 手に掛かった手錠を隠す気持ちが一瞬生まれたが、視線はすぐ手錠から剥き出しの太ももへと移った。
(?)
 初めての面会の時とは違う弟の反応にやや違和感を覚えつつも椅子に座った。

「やぁ、ひろし久しぶりだね。元気だった?」
 姉は普段から弟と接しているような少し芝居がかった喋り方をした。
 これは弟が尊敬する姉にならなくてはと心がけているうちにやるようになった。
 知的な姉。弟が憧れる姉に。

「僕のことなんかより姉さんはどうなの。少し痩せて気がするけど」
 よく見ている。確かに体重は落ちていた。
「平気よ。美味しくはないけど麦が混ざったご飯も悪くないし体のチェックもしつこいほど行われるからね。病気なんてなることはない快適な生活を送っているわ」 
 もちろんただの強がりで嘘に塗れた話だったが、弟は妙に冷静な声でいう。

「嘘だよね。前に会った時は裸検診が辛いと言ってたじゃない。それに平気だったからあんな顔してズボンを下ろしたりしないんじゃないの」
 痛いところを付くと思った。確かに前回の面会時に見せてしまった動揺は弟に見せるべきではない姿だった。
「あんなのもう慣れたわ」
 弱々しい姉の姿は見せられない。必死に嘘を固めるが弟の深刻そうな顔には変化はなく、代わりにちらりちらりと体操服に隠された膨らみに視線を向けられた。

「慣れた……だから週間真実の取材とか受けたの?」
 突然、弟の口からエロ週刊誌の名が出てギクリとした。
 一瞬何の話かわからなかったが、綾瀬の顔を思い出し事態をすぐ把握する。
「ええ。もちろん善意で取材を受けたわけじゃないわ。あの記者を利用するためよ。私が無駄なことをしない主義なのは、ひろしもわかっているでしょう」
 屈辱の拘置所生活を公表し世間の注目を集めて冤罪を訴える。
 単純な作戦だが弟には納得出来ないようだ。やや声を荒げて反論する。
「嫌だ。姉さんがさらし者になるなんて耐えられない。僕があんなに我慢してきたのに……」
「ひろし?」
 姉には弟の悩みはわからない。逮捕されてショックを受けているのは間違いないが他にも大きな悩みがあるのを感じた。

 会話が途切れる。お互い話したいこと、聞きたいことは沢山ある。実りのある時間にしたい。思いは同じなのに言葉が出ない。
 重苦しい雰囲気だけが漂い時間だけが過ぎていく。
「ごめん。今日はこれで帰る。頭を冷やして必ずまた来るから待ってて」
 耐えきれなくなった弟はそう言って立ち上がり面会を終わらせた。
 止める間もない。面会が一瞬で終わったように思えた。

 姉は先程まで弟が座っていた空席の椅子に向かって小さく呟く。
「こっちこそごめんね。理想の姉を演じられなくてごめん」


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 30分後
 面会後の全裸検査を終えた姉は神崎刑務官に連れられて新しい部屋へと向かっていた。
 表情は冴えない。やはり先程の面会の出来事が頭を離れない。
「4番。あんなことは日常茶飯事だ。思ってもいないことを口にする家族の苦悩をわかってやれ」
 神崎刑務官の話には説得力がある。
 確かに拘置所の異様な雰囲気に飲まれて面会室で意図しない喧嘩をしてしまうことはよくあることなのだろう。
 だが、先程の弟の悩みはそれとは違う。そう、もっと別の何か。

「4番には刑務官室の側にある保護室に入ってもらう。ここは赤落ちが決まった人たちが使う部屋だったが今は別のことに使っている。数日で元の場所に戻れるはずだからおとなしくするように」
「はい」
 数日間ほどお世話になる牢に近づくと姉は思わす驚きの顔を見せた
 廊下から見える室内。トイレ。部屋の構造は前と大きく変わらない。
 一見するとただ一回り大きくしただけに見える。
 だが決定的に違うところがあった。それは。

「23番。今日から4番と一緒だ。仲良くやるように」
 そういうと40歳ぐらいの気品がある婦人風の女性は作法通りに「はい。わかりました」と言って土下座をした。
 正座の時の背筋の伸ばし方。頭を下げる動作。どれをとっても上品で高い階級の人間であることが伺える。
「4番。23番は昨日警察病院からこちらに移されたばかりだから色々教えてやるように」
 そう言って移動の手続きを全て終えた神崎刑務官は去っていった。 

(二人部屋?)
 留置所では4人ぐらいの部屋に入れられていたので同部屋は初めてではない。
 しかし拘置所の独房生活にすっかり慣れていたため、いきなりの2人部屋に入れられて思考の整理が追いつかない。
 ここはなんなのか。赤落ちのための部屋と言ってたが何のことなのか。わからないことだらけだった。

 それは相手も同じなのか何の動きも見せない。ただ静まり返った部屋で正座をする2人。
 私語は許されていない。正座を崩すことも禁止。
 本来は何も出来ない時間だが、23番は小さな声で話し出す。
「ここは酷いところだわ…… これなら警察病院のほうがマシだったのに。あなたもそう思いませんか……」
 疲れきった顔。ここに来てから日が浅いだけに、何一つ慣れていない様子が伺える。
 姉は何者かもわからない遙か年上の女性を励まそうとした。
「でも耐えなくっちゃ。家で待ってくれている家族がいますし」
 そういうと23番はどこか意味深な顔をしながら「家族……そうね」と呟いた。