二部
柔らかい夕暮れの日差しが放課後の教室に差し込む。
「はぁー」
窓際の席に座った隆が夕焼けを見ながら大きなため息を付く。
下校時間が過ぎても、隆は自分の席から立とうとしなかった。
明るい夕日とは裏腹に、彼の心は深い悩みを抱えていた。
部長になって姉の裸体データを削除する。
目指すべき目標を持ったのはいいが、その道のりはあまりに厳しかった。
部長になるためには確固とした実力。そして周りの支持が必要。
しかし、今の彼はどちらもなかった。
画力を付けるには経験が足りない。部員たちの信頼を得るには結果が足りない。
考えれば考えるほど前途は多難だった。
「よお。なに暗い顔をしているんだよ」
突然、ややハスキーボイスぎみな少女の声がした。
声の少女は隆の背後に立ち、返事を待つ。
しかし、隆は気が付かない。
無視されたと思ったのか、少女はムッとした表情をしながら手に持ったノートを掲げ、隆の頭部に振り下ろす。
パーンと乾いた音とともに隆の後頭部に衝撃音が響き渡る。
隆は後頭部に手を当てながら振り向く。
するとそこにはショートカットの髪にイタズラっ子っぽい笑い顔を見せた同級生がいた。
「いったいな。誰だ……って奈々かよ。この男女が。なにするんだよ」
少女の名は鈴森奈々。隆にとっては小学生時代からの腐れ縁の女子だった。
「男女とは失礼ね。せっかく僕が心配して気を使ってあげていると言うのにさ」
奈々が男っぽいサバサバした言い回しで話す。
「後ろからカバンで叩くような奴は気を使ってるとは言わない。この男女が」
全くこの女はと怒りながらも隆の表情には笑顔が浮かぶ。
「どう?少しは元気になった? 何しょぼくれているのか知らないけど落ち込んでいても何も始まらないよ」
奈々は眼をくりくりさせて言う。
「……それもそうだな。ウジウジと悩んでも仕方がないか」
そうだ。こんな気分で会話をしたのは何日ぶりだろう。
口こそ出さないが隆は菜々の心遣いに感謝した。
「で、どうしたんだい。悩みだったら僕が聞いてあげるよ」
「美術コンクールに出すつもりで書いていた絵が不採用になって……それでちょっとな」
隆は姉のことは触れずに慎重に話した。
奈々と隆は古い付き合いだ。
姉がヌードモデルをやらされたことを教えても、言いふらしたりしないことは彼が一番よく理解している。
だが、それでも姉のことは話せない。
なぜなら奈々と姉は同じ書道部。つまり部長と部員の関係だったからだ。
どんなことでも口を挟む奈々が、部長のピンチと聞いて動かないわけがない。
奈々の性格を考えれば、美術部に乗り込んでくることすらあり得た。
もし、そんなことになれば姉を慕う奈々の存在を白鳥に感づかれる。
これだけは避けなくてはならなかった。
「まだ一年なんだし採用されないのは仕方がないんじゃない。書道部の僕だってコンクールには出させてもらえないし」
そんな彼の心配を他所に奈々は普段通りの軽い口調で答える。
「それはわかっているけどとにかく早く結果がほしい。そのためにはどうすればいいか」
1年だから無理。確かに奈々の言うことは正しい。
でも隆には時間がない。一日でも早く結果が欲しかった。
「そうね。なら自発的になんでもやって部に貢献したらどう。役に立つ部員だと思われたら扱いも変わるかもよ」
「なるほど。お前、頭いいな」
良い手だと隆は思った
部に貢献し学校の役に立つ。確かにポイントを稼ぐ近道かもしれない。
「えっへん。僕も必死に雑用をこなしていたら部長に褒められてね」
「姉さ……いや、部長の様子はどう」
隆はさり気なく、姉の様子を聞いた。
家で見る限り普段と変わらないが、外でもそうなのか。
「部長?元気よ。相変わらず厳しいけどね」
なにを当たり前のことを聞くと言わんばかりに、あっけらかんと奈々は答える。
「そっか」
姉が元気に部活動をやっていると聞いて隆はほっとする。
やはり姉は強い女性だ。自分が手を貸さなくても立ち上がれる力がある。
美術室で行われたヌードモデルのショックも自力で乗り越えたのに違いない。
となると、やはり一番の問題は学校のサーバーに保存されている姉の裸体画像。
隆は生まれたままの姿を晒す姉の全裸写真を思い出し、知らず知らずのうちに拳を握りしめる。
「突然、怖い顔してどうしたの」
奈々がクリっとした眼差しで隆を見つめる。
「なんともねえよ」
隆は目の前に迫る奈々の顔を見てドキっとした。
近所の幼なじみ。
可愛い私服とか本当に持っているのかと思いたくなるほど少年臭い女の子。
子供の頃の印象は高校生になった今でもあまり変わらない。
もちろん奈々から女を感じたことは一度もなかった。
そう。この瞬間までは。
「まあいいや。なにか僕に出来ることがあったら言ってくれよ。協力してあげるからさ。それじゃまた明日ー」
奈々が手を振りながら去っていく。
隆は奈々の後ろ姿を見ながら無意識のうちに手で四角を作って構図を決める動作を取る。
指の間から見える奈々の白い制服に包まれた背中。紺のスカートに覆われたお尻。そこから伸びるすらっとした足。
いつまで経っても少年としか思えない印象はただの思い込みであることを隆は理解した。
今の奈々は間違いなく女だった。
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数日後。美術室。
今日は部員全てが集まり、ミーティングが行われる日。
いつもなら、次はどの生徒をヌードモデルにするかで盛り上がる日であったが、今日は誰もがつまらなさそうな表情をしていた。
「学校の指示により次は男子の裸画を提出しなくてはいけなくなりました。誰かモデルに推薦したい生徒はいますか」
白鳥が黒板の前で淡々と話す。
「えー。やっぱ男も書かないといけないのですか」
「男ならどうでいいや。女子で決めろよ」
「私達だって嫌よ。後で嫌われても困るし」
部員たちも乗る気ではないのか反応が薄い。
男子の裸を書きたい意欲を持つものは少なかった。
決める気すらない、だるそうな雰囲気が部室に蔓延する。
「僕がヌードモデルの代役をやります」
そんな時、1人の男子生徒が手を上げる。
隆だ。その姿を見て部員たちは驚きの表情を浮かべる。
皆がなぜ?と思った。
この部に取ってヌードモデルとは部外者から選ぶものであり、部員がやるべきものでは無かったからだ。
どんな生徒であろうがヌードモデルに指名することが出来るのだから、わざわざ部員が裸になる必要はまったくない。
それなのに隆は志願した。どういうつもりなのか。
部員たちの疑問の視線が隆に向けられる。
「ふふ、いいわよ。やってみなさい」
白鳥が謎の笑みを浮かべながら隆に言う。
「はい」
隆は無表情のまま立ち上がりモチーフを置くために用意されている台の上に立つ。
そして学生服のボタンに手を掛けた。
二時間後、部活が終わり、がらんとした美術室。
誰に頼まれたわけでもなく隆は一人で後片付けをしていた。
「で、どういうつもり? 露出の趣味にでも目覚めたの? 佳子みたいにさ」
部室の戸締まりに来た白鳥がドアの前に立ちながら隆に話しかける。
「そんなわけありません。僕はただこの部の役に立ちたいだけです」
姉は露出狂なんかじゃないと言いたい気持ちを抑えながら隆は淡々と答えた
「役にねぇ。佳子の裸は役に立つけど、あんたの粗末なものに価値があると思っているの」
白鳥はニヤニヤと隆の体を見ながら話す。
「あれは部活動に全てを捧げる覚悟を見て欲しかっただけです」
隆はボソリと漏らす。
これは彼の嘘偽りない本音だった。
「ふーん。なかなか面白いこと言うのね。うん。気に入ったわ。あんた私の助手にならない?こき使ってあげるわよ」
姉の弟という理由だけで隆を嫌っていた白鳥が何を思ったのか助手になれという。
普通に考えればこれ以上無いほど胡散臭い話であったが。
「喜んでやらせていただきます」
なんの躊躇もなく隆は頭を下げた。
彼にとって白鳥は姉を裸にした張本人。
憎むべき相手であり倒すべき相手であったが、部長の協力なしに次期部長の道がありえないのもまた事実だった。
「良い返事ね。気分が良いのでご褒美を上げるわ。明日の放課後、裏庭に来なさい。いいものを見せてあげるわ」
白鳥が笑顔を見せる。
「わかりました」
どうせろくなもんではないだろうと思いながらも隆は再び頭を下げた
今はプライドを投げ捨てても部長に、いや、部に貢献しなくては行けない。
そのためにはどんなことにも耐えるつもりだった。