ヌードモデルに選ばれた姉

42話 ヌードモデルの素質


日曜日
 佳子は再び公民館に来ていた。
 もう公民館には行きたくないと白鳥にカマを掛けた佳子だったが、町内との約束は回数が決まっており今更断れないという当たり前の結論に辿り着いただけだった。
 そのことは覚悟していた。
 そもそも、あの拒否は美術部を通して北辰に接触するための口実作りがメインであり、行きたくないはそうなればいいな程度だった。
 公民館はあと1回我慢すれば終わる話。そう割り切ろうとしていた。

 そんな気持ちで公民館に来た佳子だったが、顔色は優れない。
 自分以外誰もいない小部屋の中でただじっと机の上に置かれているものを睨みつけていた。
 彼女の視線の先には男子物の海パンにあった。
 前回と全く変わらない同じ海パンなのに見ているだけで強烈な嫌悪感が沸き立つ。
 なぜこんな感情が生まれるのかわからなかった。

 佳子は硬い表情をしながら裸になり海パンを足に通す。
 すると、とんでもない寒気が体をかけめぐった。        
 この感覚はなんなのか。全裸のヌードモデルですらこんな気持ちにはならなかったのに。
 男子向けの海パンという女子に取って縁のないものを履いたからなのか。

 ふと鏡を見ると海パン姿で乳房丸出しの自分が映っていた。
 ようやく彼女は今の気持ちを理解した。
 これは海パンが嫌というより、胸を出すのが普通と押し付けられる状態が本能的に拒絶しているのだ。
 海パンとは下半身のみ隠す水着。つまり他の部分は全部見ていいという免罪符を与える。
 それにより女性は乳房を晒すことが常識。男に見られるべき存在なのを植え付けられる。
 これは同じ乳房を晒す行為でも海外で行われている女性開放のNudism(ヌーディズム)とはまるで逆。
 自然自由主義でも男女平等でもない。ただ女性を性の対象としか見ず、男の下に置く行為に他ならなかった。

 そんな文字を扱う文系部らしい小理屈を考えながら佳子は大部屋に移動する
 タオルはなかったのでしっかりと腕で胸を隠した。
「ん?」
 大部屋を見渡した佳子は少し驚いた顔をみせる。
 約束の時間は既に過ぎているのに人が少なかったのだ。
 先週と比べると半分以下の人数しかいない。メンツも年配の男性ばかり。
 あのクソガキたちもいないしエロ親父もいない。 
 最終日だから書き終えた人は来ないとはいえ、ここまで劇的な変化をするものなんだろうか。

 ドスドスと歩く音がした。中年太りをした鈴木さんが何やら焦りながら走ってくる。  
 上半身裸の海パン姿の時に話したい人物ではないが、佳子は胸を隠しながら「どうしましたか」と聞いた。

「どうしたもこうしたもないよ。早く初めてください。ほら急いで急いで。ポーズは前回と同じでいいから」 
 鈴木さんは普段から比較的のほほんとしており、こんな姿は見たことがない。
 わけがわからないと佳子が思いながら中央の決められた台の上に乗る。
 ふーと大きく息を吐く。覚悟を決めて胸のガードを外し乳房をさらけ出した。
 そして前回の同じドミニク・アングル「泉」のポーズを取った
(うっ)
 前回とは違って人は少ない。
 見た感じ不真面目そうな人もいないが、それでも両腕を頭の近くに持ってきて乳房を晒すこのポーズは恥ずかしさよりも情けなさが先に立つ。

 誰もが書き始めようとペンを持つと最前列に座る結構高齢な禿げた爺さんが声を出す。
「ヌードモデルに力を入れている学校の生徒がいると聞いてわざわざ見に来ればこんなもんか」
 低音で心に響く声だった。とても後期高齢者とは思えない。
 その証拠に町内の人はおろか佳子ですら爺さんの迫力に飲まれていた。

「確かに素材はいい。ヌードモデルの経験も少しは積んでいるのだろう。乳房の張りや腰つきもこの年齢にしては艶っぽい。この細かな処女肌から漂う匂いは男に見られていないと現れないものだ」
 周りに座っている町内の人たちがウンウンと頷く。
 自分の町内に住むヌードモデルの女子が褒められてまんざらでもないようだった。
「だがそれだけだ。下着を付けないように指導しているんだろうがそれは馬鹿の考えでしかない。女の美とは下着を脱ぐ瞬間や肌の残った跡すら美しいものなのにそれを排除するなんてあまりにわかっていない。命じたやつは大馬鹿者だ」
 爺さんの言ってることは白鳥の全否定。佳子は無意識のうちにムカっとした。
 もちろん白鳥のやることは何一つ支持していない。だが同じ学校に通う部長として大人に部のやり方を全否定されるのは気分がいいものじゃない。
「誰なんですか。あなたは!」
 乳房を晒していることも忘れて佳子は声を荒立てる。 
 だが爺さんは何も動じない。

「こんなことで感情を顕にするなんておこぼな小娘もいいところだ。そんな子供に一つ話をしてやろう。画家のモディリアーニは必ずモデルと性交してからスケッチを始めたなんて逸話が残っている。なぜだかわかるかね。それは女の体は男の精液で汚れてこそ美しいという考えが元になっているからだ。だからモディリアーニの裸婦画は男の苦悩と欲望に塗れた世紀の傑作になっている」

 この爺さんは何を言っているのか。芸術家というものに縁のなく、美術に疎い佳子には、その話の意図も事実なのかどうかもさっぱりわからない。
 
「つまりだ。君も怒ってばかりいないで早くその股に付いている手付かずの女陰に男根を咥えこんで女を磨くべきだ。もし相手がいないと言うならこれをあげるから自分で『おめこ』をやって広げておくように」
 爺さんは立ち上がりキャンパスに置いてあった筆を佳子に向かって投げ捨てる。
 すると、長さ20cmぐらいの太い筆が足元に転がってきた。
「こ、これでなにをしろと……」
 おこぼだの男根だの現代に生きる若者からすれば何もかもがあまりに時代錯誤な言い回し。
 しかもこの筆を使え?女性の体を何だと思っているのか。怒りで頭に血が上った佳子は問い詰めようとするが。

「ああ、先生。待ってください。まだ帰らないでください。北辰先生!」
「え?」
 鈴木さんの口から思いがけない名が出て、佳子が固まる。
 あの頭のおかしいハゲ爺が北辰? まさか、なぜこんなところに?
 あまりに予想外の出会い。彼女は言葉を失った。

 北辰が歩く。周りの大人たちがなだめようとするが怒りは解けないようだ。
 扉を開けて公民館から出ていこうとする。

 佳子は思わず大声を上げた
「待ってください!! 私の話を聞いてください」
 爺の正体を知った彼女は急いで台の上から降りて北辰の元へ駆け寄る
 胸を隠しながらなので足取りは危なっかしいが、それでも必死に向かった。
 もし、このままで別れたら北辰との縁は完全に切れてしまう。
 それはすなわち白鳥や学校への対抗手段が無くなるということ。
 何がなんでも話し合わなくてはの思いで必死に止めに入る。

「なにかね。私は忙しいんだが」
 その思いが通じたのか北辰は玄関から出たところで歩みを止めた。
 杖は持っているが使っている感じはしない。体もきちんと静止しており高齢とは思えない妙な迫力がある佇まいだった。
(うっ)
 その様子を見て佳子が一瞬ためらう。
 自分はとんでもない化物と関わりを持とうとしているのではないのかの思いがよぎる。
「北辰先生を尊敬していて先生に書いてもらうのが夢なんです。ぜひお話を聞かせてください」
 危険とわかっていても、やはり賭けてみるしかなかった。
 必死に嘘っぱちを言いまくる。もちろん彼女は北辰の絵の良さもわからなければモデルになりたいとも思っていない。
 それでも一生懸命訴えた。自分のために。
「それが人に頼む態度かね。前に来て目を見て話せ」
 北辰は再び歩き出し玄関の外に出た
 目と鼻の先には本通りがあり車が常に走っているのが見える。
 とても上裸の海パン姿で行ける場所ではなかったが。
「わかりました」
 佳子が胸を隠しながら玄関から1歩踏み出す。
 彼女は外での露出の経験は殆どない。室内とは比べ物にならない羞恥が体をかけめぐる。
 もう夏が近いことを感じさせる強い日差しがむき出しの上半身の肌に降り注ぐ。

「おー。なんだ、やれば出来るじゃないか。なら最初からやってくれればよかったのに」
 背後からおっさんの愚痴ような声が聞こえた。
 おそらく前に断った玄関で脱ぐマナーの話のことをいっているのだろうが今はそれどころじゃない。
 顔を真っ赤にしながら佳子は北辰の前に立つ。

「それが人に頼む姿かね。下ろせ」
 すると残酷な言葉が聞こえた。北辰は自分に無礼を働く小娘の覚悟を試しているのだ。
 そうでなければわざわざ外に出るわけがない。
 がむしゃらな覚悟で話しかけている佳子は躊躇いながらも自らの意志で胸のガードを下ろした
 外で乳房を丸出しにするという常識では考えられない行動。
 頭の中がスパークし視界が歪んだ

「聞こえなかったのかね。下ろせ」
 そんな辛い思いも通じないのか北辰は再び同じことを言った。
 彼女は一瞬なんのことがわからなかった。
 だが、北辰の視線が海パンに向かれていることですべてを悟る
(これを脱ぐ……)
 先程まで海パンが嫌で嫌で堪らなかった。
 今日の仕事が終われば用済みの海パンをゴミ箱に放り込むつもりだったのに今は乙女のプライドを守る最後の生命線になっている。
 因果応報。応報覿面。数々の似て非なる適さない言葉が頭を駆け抜けそして消えていった。

「はい」
 なぜ返事をしたのか。それすらもわからないまま佳子は海パンのゴム紐を緩める。
 そしてゆっくりと下げていき、決して晒してはならない縦長の割れ目が露出する。
 普通は陰毛がないことに驚くはずだが、北辰は何も動じず女子校生の秘園を鋭い視線で捉えた。
 大事なところを見られた現実に彼女は思わず「はぁ……」と絶望の吐息を吐きながら姿勢を直す。
 どこも隠さず直立不動のポーズを取ったその時、道路のほうから「え?」と男の声がした

 道路を見ると会社員風の男性がチラチラとこちらを見ながら歩道を歩いている。
 男性は変なことに巻き込まれたくないのか、事情を聞きにくるわけでも警察に連絡をするわけでなく、ただ足早に右から左へと歩いていく。
(あああっ……)
 佳子は誰か知らない人に全裸を見られたことにショックを受け、体を隠すことすら忘れていた。
 現実に頭の処理が追いつかず、ただ呆然と立ち尽くした。

 そんな様子を北辰はじっと冷たい目で見る。
 佳子のまっすぐに伸びた足へ視線を這わす。
 特に剃られた陰毛付近に興味があるのかその部分を細かく観察していた。
 いくら佳子が死に物狂いで若々しい肢体を青空の下に晒しても北辰から見ればただの小娘の裸でしか無いはずだったが。
「まぁいいだろう。今日は時間がないから出直してこい」
 人に見られても動けなかったのか幸いしたのか北辰はそう言って再び歩き出した。
「は、はい」
 少なくても喧嘩別れにはならなかったようだ。首の皮一枚繋がったことに安堵した佳子が思わず座り込む。
 すると鈴木さんが近寄り玄関に置いてあった青色のレインコートを掛けてくれた。
「あ、ありがとう……」
 胸元を閉じながら佳子は大きな疑問を感じていた。
 得られたものは大きかったが、なぜ自分はこんなことをしてしまったのだろう。
 普通では考えられないし、やろうとすら思わなかったはず。
 それなのに体が自然と動いた。こんな開けたところで乳房を晒し海パンすら下ろした。
 今、思い出しても吐き気がするぐらい気持ち悪く恥ずかしい行動なのに、なぜあの時はそれが出来たのか。
 彼女は何度も思索するが、その答えに辿り着くことはなかった。