数日後。
「一年整列!」
今日も屋外プールに藤井の声が響き渡る。
「はい!」
藤井キャプテンが号令を掛け、6人の1年女子が乳丸出しのまま整列する。
海パンしか付けていないというのに、1年の誰もが前をしっかり見て、きちんと直立不動をしていた。
早く手を降ろせと言ってもいうことを聞かずに、ビンタを頬に受けていた入部初日とはあまりに違う1年の姿だった。
もちろん、もう恥ずかしくなくなったと言えば嘘になるし、むき出しな自分の乳房を見ると羞恥で顔が赤くなる
しかし今の1年からは初日のような戸惑いも感じられなかった。
これが水泳部の活動なのだと諦めに似た感情が生まれつつあった。
藤井は並んだ6人のピンク色の乳首を眺めながら
「今からプールサイド50周。今日は春先とは思えないほど日差しも強いから丁度いい。その乳首が真っ黒になるまで走ってもらうぞ」と言った。
「はい!」
掛け声とともに1年が走り始める。
由衣は自分の真っ白な乳房を一度見てから、空を眺める。
空には燦々と降り注ぐ太陽の光。
あまりの眩しさに手で目を覆いながら由衣も後に続いた。
10周目
「もう駄目」
先頭を走っていた女の子が息を切らしながら倒れ込む。
その小さな乳房を晒しながら、大の字になって動かない。
周りにいた先輩たちが、むき出しになっている乳房を見て笑う。
女子にあるまじき、あまりにみっともない格好だが、本人はそのどころではないらしく息を整えるのに精一杯だ。
小さくプルプルと震えるピンク色の乳首がそれを物語っているようだった
由衣も呼吸が早くなり足取りが遅くなる。
たった10周、プールの周りを走っただけだというのに1年の海パン組はバテバテになっていた。
(こ、これは予想以上にえぐいわね)
由衣はこの練習の真意に気がつき、舌打ちをする。
普通ならこのぐらいの練習は彼女にとってどうってことはない。
しかし、上半身裸となれば話は別だった。
いくら表面上ではもう慣れたと思い込もうとしても、羞恥心は決して消えていない。
しらずしらずのうちに、胸を隠そうと手が動く。
そのたびにフォームは崩れ、余計な体力を使う。
そしてこの日差し。日の光が予想以上に熱い
1年の女子にとって、乳首が日差しで焼かれる感覚は初めてだ。
ぷるんぷるんと揺れる由衣の胸に当たる熱い日差しは、嫌をなしに自分が上半身裸であることを感じされた。
(負けるものか)
由衣は気合を入れ直し足を進めた。
ここで座り込めばまたビンタだ。
嫌な藤井先輩に胸を見られながら叩かれる痛みはもう二度と味わいたくない
負けず嫌いの彼女にとって、藤井に叩かれることは耐え難い屈辱だった。
二時間後
「疲れた…」
部活も無事に終わり、由衣は動かない足を引きずりながら校門前まで来た。
いつもはごった返す校門も今は数人がいる程度。
それもそのはず。時間も午後六時を超えており空も暗くなっていた。
「堺。ちょっと、こっち来て、こっち」
由衣が校門をくぐると突然男の声が聞こえた。
彼女は声がした方向を向く。
するとそこには新入生らしい目新しい制服を着た男子生徒が立っていた。
「高城?」
由衣は眼を細めながら、もう一度男子の姿を見る。
間違いない。小学校の時、ずっと同じクラスだった高城だ。
「おひさ。ようやく部活が終わったのか。女子も結構遅くまでやるんだな」
高城は少し照れたような顔をしながらそう言った。
「久し振りだね。わざわざどうしたの」
由衣は卒業式以来あっていない腐れ縁の男子を眺める。
スポーツ少年らしい短めの髪。体も男らしくガッチリしている。
たった数週間見なかっただけだというのに妙に大人びた感じがした。
「いやな。久し振りに一緒に帰ろうと思ってな。ほら、同じ水泳部員として情報交換もしたいしな」
高城は相変わらず、照れたような表情。
いくら小さい頃からの腐れ縁とはいえ、他のクラスの女子を待ち構えるのは相当恥ずかしかったようだ。
「なるほど。情報交換ね。それなら丁度よかったわ。なら一緒に帰ろ」
由衣は手をぽんと叩き、納得したようにうつむく。
高城が水泳部に入ったのはもちろん知っていたし、一度合って話を聞きたいと思っていた。
しかし、今の高城は他のクラスの生徒。
もちろん男女が分かれている部活中でも合う機会はなく、ズルズルと今日まで来てしまった。
それだけに今回の高城の提案は由衣にとっても願ったりかなったりのことだった。
「水泳部って男女が分かれているから、向こうの様子がまったくわからないだよな。そんで女子水泳の方はどうなっているのかなと。やっぱ変な伝統とかあるの?」
高城は歩きながら、やや小さな声で言った。
「伝統……もちろんあるわよ。一年女子は海パン姿。つまり……」
やや躊躇いながらも由衣は女子水泳部の伝統を話そうとする。
だが、言いづらい。胸丸出しで泳いでいるなんて言ったらどんな反応が帰ってくるのか容易に想像できたからだ。
「つまり? なに?」
「……上半身裸」
「ひゅー、お前トップレスで泳いでいるのかよ。ぶははは、こりゃ傑作だ」
高城は立ち止まり、豪快に笑った。
「わ、私だってやりたくないわよ。そりゃ男子水泳部はいいわよね。海パン姿でも普段と同じなんだし」
由依は顔を赤くしながら歩き始める。
やっぱり笑われた。だから言いたくなかったのに。
そもそもなぜ女子だけこんな目に合わなくてはならないのか。
これは彼女がずっと思っている疑問だった。
「いや……そうでもないんだ。……一年男子は海パンすらないんだから」
男子水泳部の話になると高城の口が重くなる。
先ほどとは違い、重苦しい空気が漂う。
「え、海パンがない? それって、まさか」
由依が思わず立ち止まる。
高城の意味する言葉。それは一年男子も羞恥心を利用した練習が行われているということ。
「そうなんだ。一年男子は全裸。つまりフルチンだ。練習も全裸、挨拶も全裸。何もかも全裸で行われる」
「う……そ…」
由衣は驚きのあまり声も出ない。
一年女子を上半身裸で練習させる水泳部の伝統は古臭い男尊女卑がまかり通っている部だと思っていた。
女子だけ辛い目にあわせて、男子は普通に練習しているあまりに不平等な部だと。
しかし実際はそうではなかった。女子への配慮はなされていたのだ。
「問題はここからだ。明日、男女合同の自己紹介の場があることは由衣も知っているだろ。俺達一年は部活中の格好で出ろと言われた。おそらく女子もそうだ」
「それってつまり私は海パン姿の胸丸出しのまま自己紹介をして、高城は全裸で自己紹介をやらないといけないということ?」
由衣は自分が何十人もいる男の前で挨拶するシーンを想像し寒気を感じた。
「おそらく」
由衣の質問に高城は恥ずかしそうに頷く。
女子の胸が見られる喜びより、自分の全裸を女子に見られるのが相当嫌のようだ。
「そんな馬鹿なと言いたいけどこの部ならありえるわね」
これは自己紹介の名を借りた裸の練習であることの彼女は悟る。
つまりこのふざけた自己紹介も水泳部の伝統なのだ。
「だから。そ、その。つまり、俺の裸をなぁ」
高城は体をもじもじさせながら奥歯にモノが挟まったような言い方をする。
「じれったいわね。いいたいことがあるならはっきりいいなさい」
はっきりしない高城の態度に少し苛つきながら由衣は話す。
「つまりこういうことだよ、俺はお前の裸が見ないからお前も俺の裸を見るな。由依とはずっと友だちでいて欲しいからこんなことで喧嘩別れとか俺は嫌なんだよ」
高城はかなり強い口調でそういった。
まるで告白のような台詞になり恥ずかしいのか顔を真っ赤だ。
しかし眼差しは真剣。どうやら高城の言葉に嘘はないようだった。
「なるほど。いいわよ。では互いに裸は見ないこと。もし何があっても恨みっこはなしで」
由依は高城の気配りに感心した。
いつもガサツで何も考えていない男子と思っていたが、高城は二人の縁を大切にしてくれていた。
それは恋愛感情からは程遠い腐れ縁の友人としての関係でしかなかったが、それでも由衣には嬉しかった。
「俺はこっちだから。じゃそういうことでまたな」
照れ隠しなのか高城は急いでこの場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待って。最期に一つだけ聞かせて。高城は伝統が書かれた本とか見たことある?。歴代受け継がれたノートとかそんな感じの」
由衣が高城を引き止め、質問する。
「よく先輩が伝統なんだから文句言うなとか言ってるけど書かれた原物は見たこと無いな。それがどうかしたのか」
「……わかったわ。ありがとう」
由衣は礼を言うと高城は数回手を振りながら去っていった。
「手がかり無しか。ま、今は伝統の正体より明日の自己紹介が問題だよね……」
一人残された由衣はぼそっと独り言を呟き、自宅への道を歩き始めた。
体が重い。もちろん今日の練習の後遺症だ。
しかし彼女は自覚していた。
この体の重みは明日、自己紹介をやりたくないという心の悲痛も混ざっていることに。