水泳部の伝統 08

水泳部の伝統 08


翌日 夕方

「いよいよ自己紹介か」
 由衣は深刻な顔をしながら更衣室の扉に手を掛けると、扉の向こうから1年の楽しそうな声が聞こえる。 
 その声は明るく、まるで遊び時間の教室のようにすら感じられた。
 危機感のない仲間たちの声に由衣はやや苛つきながらも扉を開け、更衣室の中へと入る。
 着替え中の他の一年たちに軽く挨拶をし、いつもの様に一人で着替えを始めた。

「そういや、今日の自己紹介ってなにやるの」
 いち早く海パン姿に着替えた一人の女子がロッカーの扉を閉めながら語り始める。

「そりゃ自己紹介でしょう。何を今さらって気もするけど」
 隣にいたもう一人の女子はしましまパンツ一枚の姿で返事をする

「まぁ練習よりはいいんじゃない。昨日みたいな50周とかもう勘弁してほしいよ」
「違いないわね」

 和気藹々と話す海パン組の女子たち。
 周りには知った顔の同じ1年しかいないせいか、その表情に悲壮感は感じられない。
 裸でいることも気にせず、まるで教室での雑談ように話していた。

「……」
 そんな仲間たちの会話を由依は黙って聞きながら着替えを続けた。
 ここで自己紹介の真実を教えるのは容易い。
 だがしかし、それによって何が変わるの言うのだろうか。
 あえて波風を立てることもない。
 由衣はそう思いながら一人静かに着替えを続けた。

「お先に失礼ーー」
 1人の女子が更衣室から出ていき、他の女子も次々と追いかける
 由衣はその様子を冷ややかに見ながら、着替えを終える。
 そしてゆっくりと更衣室を出た。

 廊下には人がいなかった。
 他の女子たちは駆け足に近い状態でプールに向かったようだ。

 由衣は無言のまま歩き、屋外プールの前へとたどり着く。
 すると扉の前に人だかりが出来ていた。
 先に行った一年の女子が扉の前で騒いでいる。
 女子たちは競うように、扉の上部にはめ込まれているガラス窓を覗き込んでいた。

「嘘」
「どういうこと」
 戸惑いの表情を見せながら一年女子が見つめる先。
 そこには本来なら決しているはずがない40人ほどの男子の姿があった。

 一番最後にやってきた由衣も扉のガラスを覗き込んで男子の姿を確認する。
 もう間違いないと思った。一年女子はこれから男子たちのさらし者になるのだと。


「あなた達、何しているの」
 一年が揃って扉を覗き込みながら騒いでいると突然、後ろから声がした。
 皆が一斉に後ろを振り向くと、そこには同じ海パン組の須崎がいた。

(須崎先輩……)
 由衣はいきなり視界に入った須崎の肉体に見て、ぽっと顔が赤くなるのを感じた。
 これまで何度も見た上半身裸の須崎先輩の海パン姿。
 とっくに見慣れたはずだったのに、目と鼻の先で見る須崎先輩の肉体はあまりに魅力的に見えた。
 明らかに一年とは違う体。これは3年という年齢差だけではない。
 盛り上がった腕の筋肉1つとっても由衣たち一年とは大きく違っていた。
 泳ぐためだけに特化された体。その大きな乳房さえも鍛えられて作られたような錯覚さえする。
 まさにアスリートの体。由衣が目指すべき理想の肉体がそこにはあった。

「だって先輩。あれ見てください。あれ」
 1人の女子が上部ガラス越しにプールサイドの男子を指差す。
 須崎は指示されたほうを見る。ようやく一年女子の言いたいことが分かったのか軽く首を振る。
 そして呆れた顔で「だから何?」と言った。

「だからって」
 戸惑う一年女子。
 須崎先輩は3年とはいえ同じ海パン組だ。
 実際、今だって上半身裸であり、鮮やかなピンク色の乳首ですら隠さずさらけ出している。
 つまりこの扉を開けて中に入れば、須崎先輩も間違いなく男たちに乳房を見られることになる。
 同じ女としてその辛さや恥辱は当然わかっているはず。
 それなのに何?とはいったい。

 須崎はおどおどする一年に軽く溜息を付きながら、扉に手を掛ける。
 まさか開ける気なのか。一年の誰もが驚き、須崎先輩の動作を止めようとした。
 この扉を開ければ男子からの視界を遮るものは何もない。
 つまりこの姿を男子に見られてしまう。

「先輩、待って」
 一人の女子が止めようとする。しかし間に合わない。
 ガタン。大きな音とともに扉は大きく開かれた。

 扉が開かれると「きゃ」と言う叫び声とともに1人を除く5人の一年女子は一斉に座り込む。
 体育座りのような格好をし男子からの視線を躱そうとした。
 一年女子の反応も無理もなかった。
 なにしろ男子たちがいるプールサイドの向こう側からここまで障害物はなにも無い。
 視力がいい男子なら、この距離でも胸の大きさぐらいは確認できそうだったからだ。

「あら、貴方は座らないの」
 須崎はその見事な乳房を晒しながら振り返り、意外そうな顔で言う
 そして唯一座らなかった一年女子を見つめる。

「こんなことしても意味がないのでしょう。私は意味がないことはしません」
 乳房こそ手で隠しているが、由衣は座ることなく堂々とした物腰で話す。
 恥ずかしくないといえば嘘になる。
 しかし尊敬する須崎先輩を真意を知るためには、このぐらいの覚悟は必要だと思った。

「意味がないか。気持ちはわかるけどそれは違うわ。この部でやることは全て意味があるのよ」
 須崎の静かな声が響き渡る。無表情を装っている由衣の眉毛をぴくりと動く。
 あからさまに納得していない顔つきを見せる。
 どうすれば須崎先輩の心をつかむことができるのか。
 須崎の本心を聞き出そうと由衣が新たな質問をしようとしたその時、

「須崎〜 ちょっとこっち来て〜」
 緊張感を打ち破るようなゆるい女子の声が前方から聞こえた。
 見ればプールサイドにいる一人の女子生徒が手招きしている。
 どうやら須崎と同じ三年生のようだ。
 声の主を確認した須崎は謎の笑みを浮かべながら由衣の元から離れ、3年グループの方へと歩いて行った。

 二人が別れると他の一年から安堵ととれる息が溺れる。
 そのぐらい由衣と須崎先輩との会話はギクシャクしていた。
 由衣はそんな周囲の反応を気にせず無言のまま扉をくぐり、決められた一年の場所へと座った。

(やはり先輩は間違っている)
 座りながら由衣は先程の会話のことを考えた。
 須崎先輩は水泳部のやることは、全て意味があるといった。
 それは今から男子に胸を見せる行為も意味があるということ。
 つまり先輩の考えは男子に胸を見せれば、早く泳げるようになると言ってるのと同じだ。
 ありえない。あまりにバカバカしい仮説に由衣は首を振りながら否定する。
 そんなことがあるはずがなかった。

 海パン組は混乱と戸惑いの表情を浮かべながら、渋々決められた位置へ座っていく。
 しかし誰も喋らない。どの生徒も己の運命を呪うがごとく、顔を伏せて無言を貫いていた。
「で、さ」
「マジ……」

 誰もが暗い顔をし、黙り込んでいる海パン組とは違い、はるか前方に座る男子は騒がしい。
 会話の内容までは聞き取れないが、明らかに海パン組を見ながら盛り上がったいるのが伺えた。

 由衣はそんな騒ぐ男子の姿をじっと観察していた。
 男子の人数は40人ほど。人数そのものは女子と大差はない。
 一番手前に座っている童顔っぽい男子たちはおそらく一年生。
 ここからはよく見えないが1年男子たちの海パンは確認できない。
 高城の言っていたとおり、1年は全裸のように思えた

「藤井。今日はよろしくな」
 突然、楽しそうな男の声がプール内に響き渡った。
 由衣が声をしたほうを向くと、そこには二人の男女が立ち話をしていた。
 一人は海パン姿の男子。背は高く筋肉質。ぱっと見ると高校生にすら見える。
(あれが噂の)
 この男子のことは由衣も聞いたことがあった。
 大会に出れば常に上位に入る実力者で男子水泳部を看板選手とも言える田中キャプテンだ。
 彼の考えは部全体の意向となり、その影響力は女子水泳部はおろか担当教師の方針すら変えられるという。

「おっひさー。相変わらず活躍しているらしいね。連続一位だっけ。もう女子の立場は形無しだよ」
 パリッと密着した高そうな競技用水着を着た女子。藤井キャプテンが返事をする。

「女子は須崎が調子を崩して出れないんだっけ。須崎抜きでは勝てなくてもしゃーないだろ」
 田中はいかにも熱血スポーツ少年らしい暑苦しい声を出す。

「なんだか今年の一年男子は貧相な体よね。この分じゃアソコも期待できなさそう」
 須崎のことに触れられてムッと来たのか、藤井は最前列に座っている一年の全裸男子の集団を見ながら、バカにするように言った。
 女子である藤井に視線を向けられた1年男子たちがピクリと体を震わす。

「はは、いうね。そういうそっちはどうよ」
 一見すると男子への挑発とも言える藤井の態度だったが田中は軽く受け流す

「へっへ。うちの一年は凄いわよ。なんと言っても中1でもうバスト80を超えている子もいるんだから」
 なぜか急に機嫌が良くなり自慢げに話す藤井。
 その言葉に嘘は感じられない。
 本当に自慢したいようだ。

「へぇ、そんな子がいるなら準備室で見ておけばよかったな」
 田中は座り込む一年女子の方を見る。
 今言われた巨乳ちゃんを探しているようだが、一年女子は誰もが体を丸くし胸を隠しながら座っているため判別できないようだ。

「ねぇねぇ。由衣ちゃん、私達なにをさせられるの」
 二人の会話を聞き、心細くなった1人の女子が由衣に向かって小さな声で話す。

「男子に向かって自己紹介させられるらしいね」
 もうここまで来たら黙っていても意味がない。
 由衣は知っていることをありのまま仲間たちに話した

「この格好で?、自己紹介って胸を相手に見せるあの挨拶でしょう。男子に胸を見せろというの。私嫌よ」
「そうよ。なんでそんなことしないといけないのよ」

 騒ぐ一年女子。いくら上半身裸の部活にも慣れていたのは言え、男子の前で普段通りの挨拶なんて出来るはずがなかった。
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